うか。勿論時勢が時勢だから放任して可いと云ふのではない。一方に於て犠牲奉公の精神の我々の国家的生活の発展に欠くべからざる所以を力説すると共に、他方時代の変に応ずる独特の施設を講ずるの必要があらう。之れ西洋の先進国に社会政策的施設の最も盛んなる所以である。而して我国の先輩は或は国家的設備の形式的整頓完成に誇るものはあらう。然しながら社会政策的施設によつて国民の生活を幸福にならしめた点に誇り得るものは果して幾人あるか。滔々たる政治家皆之れ便所を造らずして西洋の真似をして放尿すべからずと云ふ衛生警察の規則を拵へたもの許りではないか。さればと言つて予輩は憂国の先輩が、今日の青年の志気の頽廃を慨嘆するのを不快に思ふといふのではない。只今日の青年は之れでは動かない。中には或点まで事実の真相を徹底的に見て居る者もあるから、もつと立入つた説明でなければ満足しないものもある。故に従来の先輩の慷慨論は同じ時代の教育を受けた老人達や、又は新らしい教育の風に触るゝことの少き地方農家の若い衆には、多少の同感を得るかも知れないけれども、国家の最も有力なる多少の見識を有する青年には何等の反応を見ないのである。地方の青年でも此頃は段々に開けて居つて、よし彼等に独立の批評眼がないにしても彼等の境遇――時代の圧迫に苦んで居る――は自ら彼等をして物を正視するの傾向を持たしめねば已まない。一応先輩の説に感憤しても後から誰かが行つて事物の真に徹する説明をすれば、彼等の頭は直ぐ変化するに極つて居る。之れ我々が時々地方に遊説して著しく感ずるところの現象である。
先輩の所説が只現代青年の警告鞭韃に止つて居る間はまだいゝ。然しながら彼等は原因を究めずして青年の思想を変転するに焦るの余り、彼等の思想の宣伝に不便なる総てのものを排斥せんとするに至つては、却つて青年の反抗を挑発して意外の結果を生ずるに至るやうである。例へば今日の青年の志気の振はざるは、西洋思想若くは西洋文学の結果なりとして、はては西洋の文物に眼を蔽はんことを要求するが如き態度に出づる。西洋の文学の中には余りに個人的な、余りに非国家的な分子もあらう。然し適当に之れを理解して居るものから見れば、此等は恐らく大して青年を誤る種にはならぬだらう。若し斯くの如き文学の流行するが故に青年の志気頽廃するといふならば、火元の西洋では夙《と》うの昔に亡国となつて居なけれ
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