効せしむるに如くなしと思ひければ、前の年既に両藩と西本願寺との間に周旋して和親を結びたりき。又しばしば法主光澤上人に謁して天下の形勢を説き、一意王事に尽し給ふことの緊要なるを述べたれば、東本願寺の佐幕に傾きたるに反し、西本願寺は終始順逆をあやまつこと無かりき。さてまた父が其後の建言を納れて、一月十九日参与所より、北陸道鎮撫の勅使高倉三位、四條大輔二卿の随従として使僧七人を出だすべき由を西本願寺に命ぜらる。即ち父は六人の使僧を選び、参与所及び法主の特命によりそれに主となりて同二十三日京都を出立す。若狭国小浜に至れば勅使より命あり。北陸道諸藩の情勢未だ一定せず、民心もまた恟恟たり。加ふるに北越の反勢日を追ひて猖獗ならんとす。北陸道は西本願寺の信徒多き土地なれば、使僧等は常に先発して社寺奉行及び各宗の寺院を集め、王政維新の御趣旨、幕府の罪状等を演達し太政官の大号令を諭示して、更に之を諸民に伝へしむべし。また行先ごとに国情を探りて報告し、兼ねて軍資の献納を勧誘すべしと。即ち各地に於て日夜前条の御趣旨を演説し、また諸藩の重臣と会して朝旨を誤解せざると共に王事に奮励すべきことを勧めしが、加賀国大聖
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