しみじみとさびしきは薄霧のぼる雨のゆふぐれ

葛の葉の玉巻く風も見えそめてうら悲しきは初雁のこゑ

わび人の住める野末の霜枯に松の戸ほそく立つ煙かな

小山田の稲城《いなき》はなれぬ稗鳥《ひえどり》を吹きおどろかす引板《ひだ》の夕風

冬枯の檐端あらはにさびしきは瓜生の霜に柳ちる頃

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清閑寺に住める頃、清水坂に、おもてに猿を繋ぎて世のいとなみとする家あり。山の出で入りにそを見るが悲しくて。
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身一つも世はうし苦し手を合す猿を見るにも涙こぼれぬ

餌乞《ゑごひ》して手を合せたる飼猿《かひざる》を我とし見れば身にせまるかな

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馬。
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牧の馬蹴あげ荒るれど益荒男は手綱たぎつつ鞍無しに乗る

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煙。
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立ちのぼる野辺の煙をわがはてと思へば安し心きよけし

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柳二首。
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根は水に洗はれながら加茂川の柳の梢《うれ》はけぶり青めり

うすぐもり風もにほひて霞むかな六田《むつだ》の淀の青柳の原

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春雨。
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花ぐもり降るとも見えぬ春雨に牛の背ぬれぬ門田《かどた》鋤く間に

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落花二首。
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寒けきは心づからかみ吉野の耳賀《みみが》の峰に花の雪降る

春深き清滝川は水よりもあらしにさわぐ花のしら波

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歌の中山に住みける冬。
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うるはしく紅《あか》に白きをうちまぜて残る紅葉に初雪ぞ降る

天霧《あまぎら》ひ時雨の降れば狭丹づらふ紅葉は散りぬ山はさびしも

日ならべて大雪ふれり奥山の松の木末も土につくまで

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膝を枕にわが命終らんと思ひし子の照幢を、明治十九年の春、周防徳山なる徳応寺の養子に遣すとて。
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身の果《はて》はいづくの土と朽ちなんもそなはれる世と思ひ定めよ

形こそさもあらばあれ墨染の色をうき世の水に洗ふな

世世|経《ふ》とも法に仕へん身にしあれば有漏路《うろぢ》の塵に心染めざれ

譲るべき道は人にと慎みてわれ知り顔にこころ誇るな

時まなくまめに仕へよみ仏に奉りたる身にこそありけれ

身を蔽へあたはるままの衣《ころも》きて我にふさはぬ奢《おごり》このむな

食《くら》ふ間のあぢはひのみか食物《をしもの》は生きなんためか心して食へ

むさぼりはなにより起る大空に心を放ち求めてを見よ

この心この身を生めり世のかぎり我を知れらば何か歎かん

世に安き人を外目《よそめ》に羨むな我をも人のかくこそは見め

世の中に命まかせて天地を家とすむこそ心やすけれ

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維新前後二十とせばかり、御国のために甲斐なき身も聊か報いまつらんと思ひ立ちて、薩藩を初め諸藩の間に立ちまじり、心を砕くこと多かりしかば、家を思ふに暇なくて、わが岡崎の寺は屋根より雨漏り、畳皆がら朽ちはてて、白く黴びたる床板の落ちたる裂目よりは竹萱草などさへ生ひ出てぬ。もとより檀徒といふものふつと無き寺なり。一とせ旅より帰りきて、この荒れたる中に家守る妻子のあはれなりければ詠める。
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直土《ひたつち》に藁《わら》解《と》き敷きて寝《ね》ぬること常と思へば悲しきものを

いとほしき妻と子等とに食はすべき飯《いひ》もなきまで貧しきや何《な》ぞ

春されば花うぐひすと人は言へど心も向かず飯《いひ》に饑うれば

荒寺《あれでら》の柱をつたふ雨の音|板《いた》たたくにも心くだけぬ

男子《をのこ》はも国を歎けど若草の妻の歎くは家のため子の為《ため》

有馬なる出湯《いでゆ》には身もふれなくに朝夕いかに袖のしをるる

世の中のさわぎならねど寝《い》をぞねぬあなかま風の竹に鳴る夜は

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一乗寺の里に住みける夏。
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菜の花の殻《から》うち落し実をとりて赤く野火たく夏の夕ぐれ

あやめ草引く手ににほふ田の溝《みぞ》の小水葱《こなぎ》が花も移し植ゑてん

うたたねに夜は更けぬらし漏る影の簾にうすき夏の夜の月

風吹けばしづくとなりてはらはらと秋告げて散る楢の木の露

かよわくて夏痩したる老が身にてる日を避《よ》けよ夕立の雲

わが庵は竹の林の
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