く
水にすむ影は手にだにとられねど月のやどりは疑もなし
樹にふるる風の音さへ御法《みのり》なるたのしき国に今ぞ到らん
心だに僻《ひが》まずもがなみほとけの子と説く数に洩れぬ身なれば
世に気息《いき》のかよふ限は唱《とな》へまし仏の御名ぞ命なりける
浮き沈むわれを幾世か待ちませし心ながきは阿弥陀釈迦牟尼
耳も目も思ふままならず老いにけり仏の国や近くなるらん
ひんがしに出でては西に月も日もみちびきますを知らで迷ひき
われは世に免《のが》れぬ罪のあればこそ今は仏に生擒《いけど》られけれ
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明治十六年夏、薩摩より京に帰りて、次の年、比叡の麓一乗寺の里に世を避けて。
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世の中のさわぎに代へて山松の声きく身こそうしろやすけれ
翡翠《かはせみ》も世をや厭ひしのがれきてわが山の井に処定めつ
身の憂さを思ひ放てば放ち鳥|籠《かご》をのがれし世こそ広けれ
比叡の山雲のやどりの松が根に痩せたる老のかばね曝《さら》さん
落葉にもうき世の塵のまじらねば煙も清き松の下庵
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おなじ里に住みける秋。
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あかなくに傾く月の人ならば今しばしとも引きとめてまし
わびしらに啼くや雨夜のきりぎりす薄明《うすあか》りなる月や恋しき
惜む間にいつしか西にかたぶきぬ月吹きかへせ秋の山風
夏蔭とたのみし桐のちりそめて野分おどろく朝ぼらけかな
秋ごとに老せぬ月は見しものを頭《かしら》の霜といつなりにけん
避けたれどここもうき世か枕よりあとより虫の声せめて啼く
秋ふけてやや肌寒してる月の影よりむすぶ夜半の初霜
月に世を思ひかへても遁れきてみ山の秋に夜を更かすかな
恋せぬはすべなきものかあたら夜の月を簀子《すのこ》にささせつるはや
ふふめりし葛花《くずばな》さきぬ秋風をかへる裏葉《うらば》に見るぞ涼しき
野の末にうき世は遠く避けたれど月ばかりこそ疎まざりけれ
かすかなる窓の戸あけてわが影とふたりして見る山の端の月
つたなきを世にこそ蔽へ心までてらす月にはいかが隠さん
蓮は実《み》をむすぶも清きやり水に月ひとり澄む山寺の庭
音づれてさびしきものは枯蓮《かれはす》のうら葉たたきて行く時雨かな
山霧に月はくもりて蓮の実のちるおとさむし山寺の庭
世には似ずにほひめでたしわが山は紅葉も人に媚びぬなるらん
山寺の棚橋くぐるやり水も見えぬばかりに紅葉こぼるる
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旅中。
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ひとり行く影さへ細き夕づく日きゆる末より降る時雨かな
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落葉。
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蜘蛛《ささがに》の糸にかかりて黄ばみけり秋の形見の楢《なら》の一つ葉
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蝶。
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うかれきて花の木の間にぬる蝶は誰が山踏《やまぶみ》の夢路なるらん
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高野川のほとりに住みける頃。
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春の夜は隙間《すきま》がちなる宿もよし閨もる風に梅が香ぞする
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見たるままを。
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岡の辺や土とる穴の片くづれさかさまに咲くしら梅の花
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山吹。
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たふれたる野末の庵も旅人のかいま見てゆく山吹の花
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鶯三首。
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夢路かと猶たどられぬあけぼのの花のねぐらの鶯のこゑ
春雨のにほふしづくに羽ぬれて花の※[#「木+越」、第3水準1−86−11]《こむら》に鶯の鳴く
袖に染《し》むものならませば鶯のこゑや都の苞《つと》にしてまし
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生れける丹後国の与謝にまかりて。
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和野《わの》の鼻まはれば見ゆる橋立の松原づたひ鶯の鳴く
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燕。
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うつばりに黄なる嘴《はし》五つ鳴く雛に痩せて出で入る親燕《おやつばめ》あはれ
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春の歌の中に。
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野を寒み枯れたる梅を折り焚きて老いし畑守昼を待つらん
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西山別院に幡山教圓を訪ひて宿れる時。
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