た様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲哀《かなしみ》が充満《いつぱい》に成つた。で、蚯蚓《みヽず》が土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中《なか》を歩《ある》いてづぶ濡れに冷え切つた身体《からだ》なり心なりを燬《や》け附《つ》かせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱《ひでり》に亀甲形《きつかふがた》に亀裂《ひヾ》の入《い》つた焼土《やけつち》を踏んで、空池《からいけ》の、日が目《め》を潰《つぶ》す計りに反射《はんしや》する、白い大きな白河石《しらかはいし》の橋の上に腰を下《おろ》した。
『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』
ふつと斯《こん》な事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身体《からだ》が鉄色の銚子縮《てうしちヾみ》の単衣《ひとへ》の下に、ほつそりと、白い骨《ほね》計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身体《からだ》が慄《ふる》へた。次いで色々の感想が湧いて来る。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『家《うち》では阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊羹色《ようかんいろ》のフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁《きまり》が悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪《けんどん》に物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故《なぜ》真面目《まじめ》に成つて夷人《ゐじん》さんの語《ことば》が習へないのかなあ。…………家《うち》の物《もの》を泥坊するのは良《よ》く無いが、阿父さんが吝々《けち/″\》してお銭《あし》をお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初中《しよちう》内密《ないしよ》で小遣《こづかひ》を戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣服《きもの》なんか買ふのは馬鹿々々しい。』
[#ここで字下げ終わり]
果《はて》しなく斯《こ》んな事を思ひ続けて居ると、何処《どこ》かで自分を喚ぶ声がした。庫裡《くり》の方《はう》へ向いて、
『阿母さんなの。』
と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより[#「びつしより」に傍点]掻いて居た。裏口《うらぐち》へ行かうとする時、又|何《なに》か声が聞えた。桑畑の中か
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