だ。

こんなのぢやない! あの生々《いき/\》した南洋は!
おれは斯《か》う思つて次の室《しつ》へ行つた。
そこには病人らしい南洋の男女が、
青黒い、萎《しな》びた肌《はだ》で、
気乗のしない虚偽《うそ》の表情と、
――おまへ達は虚偽《うそ》を知らない筈だのに!―
張りのない、浮調子《うはつてうし》な声とで、
狭い舞台に、
――ああ、おまへ達は珊瑚礁の島が恋しからう!――
踊つたり歌つたりして居る。
可哀相に! 彼等は
小屋《こや》に一ぱいになつた見物から、
「なんだ! 面白くもない!
野蛮だね!」と大《おほ》びらに日本語《にほんご》で云はれて居る。
柬蒲塞《カンボチヤ》の踊を賞めた RODIN《ロダン》 が、
この見物の中《なか》に居るのぢやない、
いや、そんな大家《グラン、メエトル》が居たつて
この南洋踊を観たら逃げ出すだらう。
ああ!どんないい物でも、
どんな真剣《しんけん》な物でも、
日本の空気に触れると、
大抵みな萎《しな》びてしまふんだ!
精神を無くするんだ!

おれは近頃《ちかごろ》欧羅巴《ヨウロツパ》の往復に、
新嘉玻を二度観て、
南洋の生活を羨まずに居られなかつた。
そして巴里や羅馬を観て来た後にも、
やつぱり南洋を羨しいと思つた。
なぜだ?
人性《じんせい》を剥《む》き出《だ》しにして、
真実《しんじつ》の愛《あい》と戦闘とに力一ぱい生きる、
自由な世界としては、
巴里も羅馬も南洋の島も異《かは》りがないからだ!

おれはあたふたと南洋館を出てしまつた。
おれは福引に急ぐ、秩序のない、
有象無象《うざうむざう》の込み合ふ中《なか》を、子供を伴れて、
右に縫ひ、左に縫ひして歩いた。
それでも可なり大勢《おほぜい》に衝突《ぶつゝか》つた、
こんな場合に PARDON《パルドン》 を言ひ合はないのが大日本《だいにほん》だ!
そして、やつとのことで上《うへ》を向くと、
おれの目に入《はい》つたのは、
煤煙《ばんえん》で枯された梢《こずゑ》と、
――欧州では独逸の一部でしか見当らない式《しき》の――
厭《いや》なセセツシヨンの建築と、
松井須磨子と云ふ女優の看板だ。

「父さん、早く帰りませうよ。」
「よし!」
[#地から2字上げ](一九一四、八、二四)
[#ここで字下げ終わり]



底本:「反響」反響社
   1914(大正3)年10月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にをあらためました。
※底本の署名には、「よさの、ひろし」とあります。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年1月24日作成
2003年6月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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