「にも居られなくなる時が来ます、屹度。
――あなた、今日は何処へ行つた帰りだね。
――帰りではなくて行く途中よ。………あなたは美くしく着飾つた女と旅をなさることはお嫌ひ。
――それは悪《わる》くない。
――ではあなた、わたしと一所に今夜行つて頂戴な、ランスまで。いいでせう、ランスには巴里やアミアンのノオトル・ダムと同じ古さのカテドラルがありますわ、それから三鞭酒《シヤンパアニユ》の名高い産地ですわ。王政時代の古いホテルで一晩泊つて明日の夕方芝居の時間までに帰つて来ませう。
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 女の言葉には拒むことの出来ない力があつた。おれは躊躇せずにこの突発の勧誘に応じてしまつた。
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――行かう、それは面白からう……… 汽車は何時に出るの。
――午後四時。
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 時計を見ると四十分の猶予しかなかつた。おれは急いで顔を剃つた。女も手提の金色《きんいろ》の嚢《サツク》から白粉入を出しておれの使つて居る掛鏡《かけかがみ》を覗き込みながら化粧をしなほした。おれはトランクの底から百フランの紙幣を三枚抜き出してそつと洋袴《パンタロン》の隠しへ捻ぢ
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