先輩と妻の美奈子と五六の門下生との外に知る者が無い。門下の中にも少し目鼻が附き掛けると、利巧な連中は文界の継児《まゝこ》である保雄と交《まじは》る事が将来の進路に不利だと見て取つて其《それ》と無く遠《とほざ》かる者も少く無かつたが、保雄は却《かへ》つて其の連中の独立し得るに至つた事を喜んで別段|憤《いきどほ》る色も見せ無かつた。

    (参)

 『阿父《おとう》さん、斯う云ふ人が来ました。』
と云つて長男の勇雄《いさを》が持つて来た名刺を見ると、東京区裁判所執達吏鈴木達彌と印刷してある。保雄と美奈子とは黙つて顔を見合せた。と案内も待たずにどんどんと二階へ上つて来たのは、鼠色の褪《さ》めて皺の寄つた背広を着た執達吏と、今一人は黒の綿入《めんいり》のメルトンの二重|廻《まはし》を来た山田と云ふ高利貸であつた。
『先生、お久振《ひさしぶり》で。』
と云つて笑顔もせずに二重|廻《まはし》の儘で山田は座《すわ》つた。保雄は山田の態度が癪《しやく》に障《さは》つたので、
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『まあ其の上のを取ら無いか、其れぢや挨拶が出来無い。』
『まだ寒いですからな
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