婦人雑誌と猫
山本宣治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)女性尊重主義《フエミニズム》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)風のまに/\
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我日本の性研究の或者が唯一の虎の巻として居る『性の心理』の著者ハヴェロック・エリスは、性学の大家であり医学者であると同時に、極めて勝れた文人である。此人が近頃著はした『随想録』第二巻(Havelock Ellis, 1921 : Impressions & Comments. 2nd. Series.)の序に、自分も老境に入つて、今迄事に触れ感じた事共を将来系統だつた著述にする事も覚束無いから、取敢へず所感を順序も無く書き列ねて公けにしたいと述べて居る。
即ち「秋になれば、木の葉ももはや何の生活作用を営む必要が無い事を、我々は承知して居る。それらの葉が木に縋りついて居るべき必要は無い。そこでそれらを木枯しの風のまに/\吹き散らさせて見よう。」斯く吹き散らされて来た葉の幾つかの内、私の目に触れて面白かつたものを二つ程紹介して見よう。
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「八月十五日、私は田舎行の或列車のすいた一室に入つて、自分の席の側に残されて居た極く有り触れた体裁の雑誌を手にとつた。それは安い週刊雑誌で、嘗て名も聞いた事も無いものだが、婦人向きで確かに其発行部数は莫大なものであらう。私は其各頁を繰つて見た。恐らく誰でも想像する事なのだが、目下の形勢から見て、婦人一般は女子参政権運動に関して非常に興奮してるとか、又は少なく共多少の興味を持つて居ようと思ふかも知れぬ。所が其雑誌には初めから終り迄参政権の参の字も見当らぬ。又現に我々が見て婦人が参加して居ると思ふ社会運動の各々に就いて、一言も費して居らぬ、又思想とか宗教とかいふ題目には全く触れて居ない。所で一方に於て此雑誌の読者の頭を悩まし又肩を入れて居る三大問題といふのは、三個のシー(Clothes, Cookery, Courtship)即ち着物と料理と異性の愛を求める事である。どうして古い帽子を買ひたてに見せる事が出来ようか、砂糖漬の製法、或男が接近して来た時如何に振舞ふべきものか、之等の問題は此雑誌の読者が深い興味で取扱ふて居るものであり、之以外に彼女達が思ひを及ぼす事があらうとも考へられない」。
「殊に教訓に富むのは記者と読者との問答で、色々の問題が論じられて居る。例へば今仮に、或女は或男を好いて居ます、そして其男も其女を好いて居るやうに女自身も思ふて居ますが、其男は口に出して何も申しませぬ、記者様、此際何としていゝものか、どうぞ教へて下さいませ、とある。其れに対しての答は、此問が極めて真面目な事を認めて、親切に賢明にさながら母の様に、此小天地の中の読者の頭の程度に応じて、立派に調子を取つて答へてある」。
「併し彼女達の世界は何と小さいものだらう。斯様に狭く、又石器時代の様に斯くも古い、又いぢらしい程単純で善良で柔和で謙遜で、徹頭徹尾女らしく出来て居る。此薄つぺらな月並雑誌の悪い印刷の頁を繰る時、一滴の涙を落とすまいと努めても困難である。」
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日本で何々世界とか何々の友とかいふ雑誌は、決して薄つぺらでもない、又其印刷は不鮮明でもないが、エリス老人に見せたら、矢張一滴の涙を濺ぐだらう。併し中にアインシュタインの相対律解説などを堂々とのせて居るのもあるから、流石は日東島帝国の婦人文化はえらいものと感心して其涙を引込ますか、それ共又感涙に咽ぶかも知れぬ。扨て其感想はそれ丈でしまひではない。
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「扨てそれから私は、持参の雑誌で前のとは大変趣きの違ふものを出して読んだ所が、之には女性尊重主義《フエミニズム》を奉ずる或男の学者の書いた熱烈な宣言が載つて居る。それによれば、現代に於ける実行の力は婦人の手に移つた。そして婦人のみが『心的透視力』Psychic vision を有し、且又男子が無視して居る重大問題に興味を有するのは婦人のみであるさうだ。そこで私は合点した、即ち此重大問題といふのは着物とお料理とそして異性の愛を求める事なのである」。
「三月二十日、前日一匹の猫がカーヂフの町の発電所の配電盤にはひ上つて電線にからみついたので、全市は暗黒の中に陥つた、そして其猫は此一大事業を果して其一命を終へたのだが、其猫がサンヂカリストであつたとも、或は女権主張者であつたとも一向判然しない。併し我々が向つて進みつゝある文明其ものにとつて、此猫の冒険は意味深いものである」。
「あらゆる文明は、その文明を造り上げた人々の理智と同情と互の信頼とに関係がある。野蛮時代はさうでなくて、其頃『各人の家は彼の城郭』であつた。即ち人は彼の一族と家来共を引きつれて、家に閉ぢ籠つて社会から独立し、よし社会が彼に対して憤つても其無力を嘲る事が出来たのである」。
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現に東京の或富豪は、近頃は工場を経営すれば争議が起る、借家を建てれば家賃は制限される様なうるさい世の中だから、品川のお台場の様な所に鉄筋コンクリート建の屋敷を建て、真逆の時には金貨と食糧品とを携へて籠城すると、本気になつて計画して居るといふ話を聞いたことがある。
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「今や人の家は彼の城郭でない、あらゆる低能児、あらゆる無茶者が彼の死命を左右する。一寸触れゝばすぐ歯車を外せる様な華奢な仕掛のからくりで、彼の生活が調節されて居るのだ。文明ほどこはれ易いものは外に又とない。如何に高度の文明でも、それが面して居る多種多様の危険に対して、終り迄頑張り続けた例は無い。今日腕白小僧の様な大人は誰でも、社会に対して『俺のほしがつて居る飴ん棒をくれ、くれなけれやお前の生活が辛抱出来ぬ程ひどい目にあはしてやるから』といふ事が出来る、して又其いふ通り暫くは其腕白の為に、我々の人生が耐へ難いものにされるのだ」。
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此事を独逸のニコライ教授は、急行列車の前に立つ人間に譬へた。即ち社会といふ大組織の前によし一個人が頑張つて見ても、急行列車の突進して来る軌道上に犬が吠えてる様なもので、いくら吠えてもごまめの歯ぎしりで到底埒が明かぬと多くの人は云ふのだけれ共、実際軌道の傍に居る一人の男が、今走つて来る汽車は気に食はぬから止めてやれと思ふたら、唯一投手の労、軌道の繋ぎ目のネヂに触れゝば、よし犬には出来ない芸当でも、理智を具へた人間ならやりおほせる事が出来るといふ譬へ話である。
左側通行や節約の宣伝、夏休みの短縮なぞの外形上の変化にクヨ/\する前に、まづ我等の文化生活が此様に密に繋がれてをり、しかも社会といふものは案外やにこいものだといふ事を会得しなければ、何事もウソだ、万事は気休めである。
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「山本宣治全集 第五巻」汐文社
1979(昭和54)年6月
入力:加藤恭子
校正:菅野朋子
2001年5月23日公開
2006年5月19日修正
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