かひかり野にすと思ふに消えぬ

歌ひとつ君なぐさめむちからなし鬢の毛とりて風にことづてむ

母恋ふる心わすれてあこがれぬやさしおん手のひと花ゆゑに

みやこ人《びと》の集《しう》のしをりとつみつれどふさひふさふや楓《かへで》のわか葉

なさけ未《いま》だよわきはげしきさだめ分かず酔へりとのみのこの子と知りぬ

かゝる夜の歌に消ぬべき秋人《あきびと》とおもふに淡《うす》き裳《も》もふさふかな

世にそむき人にそむきて今宵また相見て泣きぬまぼろしの神

われにまた山の鐘鳴るゆふべなり雫《しづく》や多き涙や多き

似つかしと思ひしまでよ菖蒲《あやめ》きり池のみぎはを南せし人

あすこむと告げたる姉を門《かど》の戸にまちて二日《ふつか》の日も暮れにけり

髪ときて秋の清水にひたらまし燃ゆる思の身にしきるかな

うらみわびこの世に痩せし少女子のひくきしらべをあはれませ君

みふみ得しその夕より黒髪のみだれおぼえて涙ぐましき

痩せ指に小鬢《こびん》のぬけ毛からめつつさてこの秋にふさふ歌なき

人の名も仏の御名も忘れはて籠に色よき野花《のばな》つみぬる

しら梅の朝のしづくに墨すりて君にと書かば姉にくまむか

二十とせは亡き母しのぶ夢にのみ光ほのかにさすと覚えし

わりなくも琴にのぼせて恋得つと御歌《みうた》のぬしに告げば如何ならむ

つらき世のなさけいのらぬわれなれど夕となれば思あまりぬ

須磨琴《すまごと》のわかきわが師はめしひなり御胸《みむね》病むとて指の細りし

ねいき細きこのわがのどに征矢《そや》ひきて夢路かへさぬ神もいまさば

川くまのふたもと櫟《いちひ》かげみれば猶も君見ゆわれ遠ざかる

わりなくも君が御歌に秋痩せてよわき胡蝶の羽《は》もうらやみぬ

はかり得ぬ親のこころをかへりみずゆるせと君にものいひてける

わが面《おも》の母に肖《に》るよと人いへばなげし鏡のすてられぬかな

ちる花のしたにかさねてまかせたり君が扇とわが小皷《こつづみ》[#ルビの「こつづみ」は底本では「こづつみ」]と

紅梅の真垣のあるじ胸をいたみ泣くを隣りに小琴とききぬ

みなさけのあまれる歌をかきいだきわが世の夢は語らじな君

君によき水際《みぎは》や春の鳥も啼く細き柳は傘にかかりぬ

その御手にほそきかひなをゆるしませくづるる浪のはてしなくとも

京の春に桃われゆへるしばらくをよき水ながせまろき山々

夢に見し白き胡蝶の忘れ羽かあらず小百合《さゆり》のそのひと花か

泣きますな師をなぐさめむすべ知ると小百合つむ君うるはしきかな (以上二首は登美子の君に)

つらきかな袖に書きてもまゐらせむ逢はで別るゝ歌のみだれよ

なにとなきとなり垣根の草の名も知らばやゆかし春雨の宿

あづま人《ど》が扇に染めし梅の歌それおもひでに春とこそ思へ

この世をもはては我身も咀はるる竹ゆく水に沈む日みれば

袖おほひさびしき笑みの前髪にふさへる花はしら梅の花

うぐひすを春の桜におほはせて水の月さす夏の夜きかむ

山かげの柴戸をもれししはぶきに朝こぼれたりしら梅の花

われ思へば白きかよわの藻の花か秋をかなたの星うけて咲かむ

桃さくらなかゆく川の小板橋《こいたばし》春かぜ吹きぬ傘と袂に

よき里と三とせ御筆《みふで》のあとに見き今宵虫きくうす月の路 (渋谷にて)

君待たせてわれおくれこし木下路《こしたぢ》ときのふの蔭の花をながめぬ

花こえてその花をりて垣にそふ夢のゆくへの家うつくしき

初秋《はつあき》や朝睡《あさい》の君に御湯《みゆ》まゐる花売るくるま門《かど》に待たせて

奇しきもの指につたへて胸に入る神も聞きませ七つの緒琴《をごと》

こは天《あめ》か人のさかひかまた逢ひぬ飽かずと泣きてわかれにし君

まれびとに椎の実まゐる山ずみの静なる日や秋の雨ふる

わが袖に掩ひややらむかれ/″\の野花《のばな》はなれぬ蝶のましろき

わづらひかこれうらぶれか春のうすれ暮うするる夕栄《ゆふばえ》を見る

みづいろの帯ふさはずやみだれ髪花のしろきに竹の青きに

うつくしき水に小橋に名おはせて里ずみ三月《みつき》うらわかき人

その神のみすがた知らず御名《みな》知らず夢はましろの百合の園生に

まぼろしにうつらむものかわがおもひ紅きむらさき色のさま/″\

うたたねの額《ひたひ》にかづく春の袖|繍《ぬ》ひ来《こ》牡丹とこがねの蝶と

今はただ歌の子たれと願ふのみうらみじ泣かじおほかたの鞭

うつつなき春のなごりの夕雨にしづれてちりぬむらさきの藤

心とはそれより細き光なり柳がくれに流れにし蛍

あゝ君よ心とわれと別れきぬ深山に似たる秋かぜの家[#「秋かぜの家」は底本では「秋かぜの」]

花や雨や野の紫や春のひと酔ひてしばしの夢まどろまむ

海棠の室《むろ》に歌かく春の宵ものあくがれの酒われに濃き

栄《はえ》とくやもろしと云ふや君よ人よ蝶のむくろに春をうらなへ

このゆふべ色なき花にまたも泣くえにしつたなき春のわすれ子

髪あらへば髪に花さき山みづにさくらいざよふ清滝の里

野の虹のかたへうすれて鐘なりぬ柳にしばしたたずむや誰

奥の院の夕の壁に歌も染めず白き桔梗をたをりて下《お》りぬ

おきてたるさとしかしこみ国出づと母の御墓の花に泣く人

ながれゆく汝れよ笹舟しばしまてこの歌染めていのち与へむ

紅蓮《べにはす》の花船ひとつ歌のせて君ある島へ夕ながさむ

夏くさを一里わけたる君がかど昨日も笑みてただに別れぬ

衾《ふすま》ぬけて戸をくる京の雪の朝この子が思ひ詩によみがへる

病む鳥を籠にあはれむ夕ばしら憂かりし春の又も眼に満つ

簾《すだれ》背《せ》に春の眼によき玉おばしま比良の[#「の」は底本では判読不可]むらさき二尺に足らぬ

おとろへにひとり面痩せ秋すみぬ山の日うすく銀杏《いてふ》ちる門《かど》

わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君が門《かど》ゆけ (以下二首京にありしほど浪華の友に)

肩あげによき頬のにほひ君が春を才に耻もつわれ京の姉

ふと倚るに見たるは清き高きまどひその昨日《きのふ》もつしら梅の花

拍つ手ここに御池《みいけ》の緋鯉なれつるよ一人《ひとり》を京の春の子老いな

まぼろしに得たるみすがたたどる眼にいつしか霧の枯野を得たり

わが魂を武蔵やいづこ水よ引け夜《よる》の二百里花ふらしめよ

御手《みて》もろともそよ片山のこがらしにまぎれ消ぬべき我ならばとも

おんすくせわかき御尼《みあま》に泣かれけり堂の夕寒《ゆふさむ》わが袖まゐる

寒菊に涙さびしき夕別れせつなき別れ西の京にして

わがなれぬ寒さの袖にまたも雪風は愛宕の北のおろしよ

そのおもざし姉に似たるにまた泣きぬ雨のまくらをふた夜の人や (弟と京にてよめる)

知らざりしほころべば[#「ほころべば」は底本では「ほころべは」]黄に紫にきのふ垣根に名なかりし草

舟にして蓮きる御手の朝うつくし十九を滋賀の水によき君 (友に)

なぐさめむ人なき寮の夜のさくらおなじ愁の君にちるべき

夜の柳ひくき浪華の水なりき歌うて過ぐる君とのみ見し

笛を追ひてゆふべ船やる水一里|蓮《はす》の香のせて櫓にやはらかき

なぐさみぬ都の旅の秋の身も歌に笑む夜は足る人のごと

李《すもゝ》ちる京の夕かぜ又も泌《し》むひととせ見たる美くしき窓

ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間《このま》に淡《あは》き富士見ゆ

江戸川のさくら黄ばめる朝靄にわかれし人をえこそ忘れね

春雨に山吹うかぶ細ながれみどりこなたへ君をいざなへ (東の京より西の京の友へ)

秋の日のこがねにほへる遠木立《とほこだち》そこにか母のありかたづねむ

磯にして君を思ふに清き夜や歌とは云はじ浪に得し珠 (以下二首上総の海辺にて)

汐あむや瑠璃を斫りたる桂なし海松《みる》ぶさささとも額《ぬか》ふれにける

とほく行く身にたまはりぬ琵琶だきて秋の雲みる西のみづうみ

この世にはあらずと知りしかたらひをしづかに思ふ森かげの道

春うたふ小鳥追ひ打つ世と知らずあくがれ出でし花の木《こ》づたひ (以下拾首さることにふれて)

うるはしきゆめみごこちやこのなさけこの歌|天《あめ》の母にそむかじ

彼の天《あめ》を知らぬ土鼠《もぐら》の宮守《みやもり》にわが歌悪しと憎まれにけり

耳しひしひじりはわかきうぐひすのよき音《ね》は問はず籠《こ》に閉ぢてのみ

われ咀ひ石のものいふ世と知りぬつめたき声に心こほりぬ

みなさけかねたみか仇かあざけりかほほゑみあまた我をめぐれる

歌はみな天《あめ》のひかりにあこがれぬ母なき国に栖みわびぬれば

わが歌は鴿《はと》にやや似るつばさなり母ある空へ羽搏《はう》ち帰れと

大神のみまへめぐりて立たむときかしこき人ら今日を忘るな

わきて身にしむやこの秋もみぢ葉のこきひと葉すら咀はれの色

[#改丁]
曙染

[#地から1字上げ]與謝野晶子

春曙抄《しゆんじよせう》に伊勢をかさねてかさ足らぬ枕はやがてくづれけるかな

あゝ野の路《みち》君とわかれて三十|歩《ぽ》また見ぬ顔に似る秋の花

ほととぎす聴きたまひしか聴かざりき水のおとするよき寝覚《ねざめ》かな

海恋し潮《しほ》の遠鳴りかぞへては少女となりし父《ちゝ》母《はゝ》の家

加茂川に小舟《をぶね》もちゐる五月雨《さつきあめ》われと皷《つゞみ》をあやぶみましぬ

鎌倉や御仏《みほとけ》なれど釈迦牟尼は美男《びなん》におはす夏木立かな

おもはれて今年《ことし》えうなき舞ごろも篋《はこ》に黄金《こがね》の釘《くぎ》うたせけり

養はるる寺の庫裏《くり》なる雁来紅《がんらいこう》輪袈裟《わげさ》は掛けで鶏《とり》おはましを

ほととぎす治承《ちしやう》寿永《じゆえい》のおん国母《こくも》三十にして経《きやう》よます寺

わが恋は虹にもまして美しきいなづまとこそ似むと願ひぬ

聖《せい》マリヤ君にまめなるはした女《め》と壇《だん》に戒《かい》えむ日も夢みにし

頬《ほ》よすれば香る息《いき》はく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな

髪に挿《さ》せばかくやくと射る夏の日や王者《わうしや》の花のこがねひぐるま

紅《べに》させる人衆《にんじゆう》おほき祭街《まつりまち》きやり唄はむ男と生ひぬ

紅《あけ》の緒の金皷《きんこ》よせぬとさまさばやよく寝《ね》る人をにくむ湯の宿

今日《けふ》のむかし前髪あげぬ十三を画にせし人に罪ありや無し

誰が罪ぞ永劫《えうがふ》くらきうづしほの中《なか》にさそひし玉と泣くひと

里ずみの春雨ふれば傘さして君とわが植う海棠の苗

ほととぎす過ぎぬたま/\王孫《わうそん》の金《きん》の鎧を矢すべるものか

さくらちる春のゆふべや廃院《はいゐん》のあるじ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」」、第3水準1−91−26]《じやうらふ》赤裳《あかも》ひいて来《こ》

花のあたりほそき滝する谷を見ぬ長谷の御寺の有明の月

掛け香のけむりひまなき柱《はしら》をば白き錦につつませにけり

三井寺や葉わか楓《かへで》の木下《こした》みち石も啼くべき青あらしかな

棹《さを》とりの矢がすり見たる舟ゆゑに浪も立てかししら蓮の池

姉なれば黒き御戸帳《みとちやう》まづ上げぬ父まつる日のものの冷《つめ》たき

更くる夜をいとまたまはぬ君わびず隅にしのびて皷緒《つゞみを》しめぬ

きり/″\す葛の葉つづく草どなり笛ふく家と琴ひく家と

蓮《はす》を斫り菱の実とりし盥舟《たらひぶね》その水いかに秋の長雨《ながあめ》

青雲《あをぐも》を高吹く風に声ありて讃じたまひし恋にやはあらぬ

斯くは生《お》ひてふりわけ髪の世も知らず古りし磬《けい》[#ルビの「けい」は底本では「けつ」]うつ深院《しんゐん》のひと

春日《かすが》の宮わか葉のなかのむらさきの藤のしたなる石の高麗狗《こまいぬ》

第一の美女《びぢよ》に月ふれ千人《せんにん》の姫に星ふれ牡丹|饗《きやう》せむ

このあたり君が肩よりたけあまり草ばな白く飛ぶ秋の鳥

家鼬《いへいたち》尾たるる相《さう》のむか
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