むひがしの国へ春いなむ除目《ぢもく》に洩れし常陸ノ介と
髪ゆふべ孔雀の鳥屋《とや》に横雨《よこあめ》のそそぐをわぶる乱れと云ひぬ
廊ちかく皷《つゞみ》と寝ねしあだぶしもをかしかりけり春の夜なれば
集《しう》のぬしは神にをこたるはした女か花のやうなるおもはれ人か
さは思へ今かなしみの酔ひごこち歌あるほどは弔ひますな
君死にたまふことなかれ
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃《やいば》をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺《さかひ》の街のあきびとの
旧家《きうか》をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣《けもの》の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思《おぼ》されむ。
あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守《も》り、
安《やす》しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。
暖簾《のれん》のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻《にひづま》を、
君わするるや、思へるや、
十月《とつき》も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
恋ふるとて
恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]せつる。
いかが語らむ
いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。
わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。
夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた熱か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。
皷いだけば
皷《つゞみ》いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿《うちぎ》かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾《すだれ》して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命《たんめい》の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。
しら玉の
しら玉の清らに透《とほ》る
うるはしきすがたを見れば、
せきあへず涙わしりぬ、
しら玉は常ににほひて
ほこりかに世にもあるかな。
人のなかなるしら玉の
をとめ心は、わりなくも、
ひとりの君に染《そ》みてより、
命みじかき、いともろき
よろこびにしもまかせはてぬる。
冥府のくら戸は
よみのくら戸はひらかれて
恋びとよよといだきよれ、
かの天《あめ》に住む八百星《やほぼし》は
かたみに目路《めぢ》をなげかはせ、
土にかくれし石屑《いしくづ》は
皆よりあひて玉と凝れ、
わが胸こがす恋の息《いき》
今つく熱きひと息《いき》に。
底本:「恋衣 名著復刻 詩歌文学館」日本近代文学館
1980(昭和55)年4月1日発行
底本の親本:「恋衣」本郷書院
1905(明治38)年1月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※変体仮名は、通常の仮名にあらためました。
※底本中で脱漏や誤りの可能性がある点については、「與謝野鉄幹・與謝野晶子集 明治文学全集51」筑摩書房、1968(昭和43)年、「與謝野寛 與謝野晶子 窪田空穂 吉井勇 若山牧水集 日本現代文学全集37」講談社、1964(昭和39)年を参照し、補訂しました。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
2004年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.a
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