せまろき山々

夢に見し白き胡蝶の忘れ羽かあらず小百合《さゆり》のそのひと花か

泣きますな師をなぐさめむすべ知ると小百合つむ君うるはしきかな (以上二首は登美子の君に)

つらきかな袖に書きてもまゐらせむ逢はで別るゝ歌のみだれよ

なにとなきとなり垣根の草の名も知らばやゆかし春雨の宿

あづま人《ど》が扇に染めし梅の歌それおもひでに春とこそ思へ

この世をもはては我身も咀はるる竹ゆく水に沈む日みれば

袖おほひさびしき笑みの前髪にふさへる花はしら梅の花

うぐひすを春の桜におほはせて水の月さす夏の夜きかむ

山かげの柴戸をもれししはぶきに朝こぼれたりしら梅の花

われ思へば白きかよわの藻の花か秋をかなたの星うけて咲かむ

桃さくらなかゆく川の小板橋《こいたばし》春かぜ吹きぬ傘と袂に

よき里と三とせ御筆《みふで》のあとに見き今宵虫きくうす月の路 (渋谷にて)

君待たせてわれおくれこし木下路《こしたぢ》ときのふの蔭の花をながめぬ

花こえてその花をりて垣にそふ夢のゆくへの家うつくしき

初秋《はつあき》や朝睡《あさい》の君に御湯《みゆ》まゐる花売るくるま門《かど》に待たせて

奇しきもの指につたへて胸に入る神も聞きませ七つの緒琴《をごと》

こは天《あめ》か人のさかひかまた逢ひぬ飽かずと泣きてわかれにし君

まれびとに椎の実まゐる山ずみの静なる日や秋の雨ふる

わが袖に掩ひややらむかれ/″\の野花《のばな》はなれぬ蝶のましろき

わづらひかこれうらぶれか春のうすれ暮うするる夕栄《ゆふばえ》を見る

みづいろの帯ふさはずやみだれ髪花のしろきに竹の青きに

うつくしき水に小橋に名おはせて里ずみ三月《みつき》うらわかき人

その神のみすがた知らず御名《みな》知らず夢はましろの百合の園生に

まぼろしにうつらむものかわがおもひ紅きむらさき色のさま/″\

うたたねの額《ひたひ》にかづく春の袖|繍《ぬ》ひ来《こ》牡丹とこがねの蝶と

今はただ歌の子たれと願ふのみうらみじ泣かじおほかたの鞭

うつつなき春のなごりの夕雨にしづれてちりぬむらさきの藤

心とはそれより細き光なり柳がくれに流れにし蛍

あゝ君よ心とわれと別れきぬ深山に似たる秋かぜの家[#「秋かぜの家」は底本では「秋かぜの」]

花や雨や野の紫や春のひと酔ひてしばしの夢まどろまむ

海棠の室《むろ》に歌かく春の宵ものあくがれの酒われに濃き

栄《はえ》とくやもろしと云ふや君よ人よ蝶のむくろに春をうらなへ

このゆふべ色なき花にまたも泣くえにしつたなき春のわすれ子

髪あらへば髪に花さき山みづにさくらいざよふ清滝の里

野の虹のかたへうすれて鐘なりぬ柳にしばしたたずむや誰

奥の院の夕の壁に歌も染めず白き桔梗をたをりて下《お》りぬ

おきてたるさとしかしこみ国出づと母の御墓の花に泣く人

ながれゆく汝れよ笹舟しばしまてこの歌染めていのち与へむ

紅蓮《べにはす》の花船ひとつ歌のせて君ある島へ夕ながさむ

夏くさを一里わけたる君がかど昨日も笑みてただに別れぬ

衾《ふすま》ぬけて戸をくる京の雪の朝この子が思ひ詩によみがへる

病む鳥を籠にあはれむ夕ばしら憂かりし春の又も眼に満つ

簾《すだれ》背《せ》に春の眼によき玉おばしま比良の[#「の」は底本では判読不可]むらさき二尺に足らぬ

おとろへにひとり面痩せ秋すみぬ山の日うすく銀杏《いてふ》ちる門《かど》

わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君が門《かど》ゆけ (以下二首京にありしほど浪華の友に)

肩あげによき頬のにほひ君が春を才に耻もつわれ京の姉

ふと倚るに見たるは清き高きまどひその昨日《きのふ》もつしら梅の花

拍つ手ここに御池《みいけ》の緋鯉なれつるよ一人《ひとり》を京の春の子老いな

まぼろしに得たるみすがたたどる眼にいつしか霧の枯野を得たり

わが魂を武蔵やいづこ水よ引け夜《よる》の二百里花ふらしめよ

御手《みて》もろともそよ片山のこがらしにまぎれ消ぬべき我ならばとも

おんすくせわかき御尼《みあま》に泣かれけり堂の夕寒《ゆふさむ》わが袖まゐる

寒菊に涙さびしき夕別れせつなき別れ西の京にして

わがなれぬ寒さの袖にまたも雪風は愛宕の北のおろしよ

そのおもざし姉に似たるにまた泣きぬ雨のまくらをふた夜の人や (弟と京にてよめる)

知らざりしほころべば[#「ほころべば」は底本では「ほころべは」]黄に紫にきのふ垣根に名なかりし草

舟にして蓮きる御手の朝うつくし十九を滋賀の水によき君 (友に)

なぐさめむ人なき寮の夜のさくらおなじ愁の君にちるべき

夜の柳ひくき浪華の水なりき歌うて過ぐる君とのみ見し

笛を追ひてゆふべ船やる水一里|蓮《はす》の香のせて櫓にやはらかき

なぐさみぬ都の旅の秋の身も歌に笑む夜は足る人
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