腰ばかりではなく、以前はひっつめて後ろに小さく束ねていた髪もこの節では母のように前髪をとり髱《たぼ》を出してお品よく結っているのだった。それに、母の形見だという小粒の黒ダイヤのはまった指輪の手をたしなみ好く膝の上に重ねて少し俯向きかげんに人の話をきいている様子は母にそっくりであった。
「飯尾さん、ばかにめかしているじゃないか、親爺に気があるのとちがうか」
 いつか、湯上りの飯尾さんがクリームをつけたにしては少し白すぎる顔で遅い夕飯の父へ給仕をしているところをみかけた兄が、お吸物をはこんできた紀久子を裏廊下のところでつかまえて面白そうにこう笑ったことがあった。それまでは別に気にもとめず過してきた紀久子は兄に云われた瞬間、飯尾さんに対して無性に胸わるさを感じた。「まさか」と兄へは打消しておいたが、どうも後味がよくない。それからは妙に飯尾さんへこだわるようになってしまった。そして、今も、母の癖の出た飯尾さんの眼つきをみて紀久子は厭な気がした。話すのが億劫になってくる。それに話し出せばまたおきえさんの非難をきかされるのがおち[#「おち」に傍点]である。母が亡くなってからは余計に、おきえさんの話が出ると飯尾さんはむき[#「むき」に傍点]になるのだった。
 そんな時の飯尾さんの表情はヒステリックにひきしまってきて、妙にひっからんだ声音でくどくどときかせるところはこのひとの執念の程を思わせた。それは、亡くなった母への義理だてから父の情人をこきおろす、というような単純な心から出たものではなく、何かそこに個人的な根深いものがひそんでいるように感じられた。ふと、薄化粧した飯尾さんがしな[#「しな」に傍点]をつくって食事の父へ給仕をしている姿を頭に描いて、紀久子は自分事のように身内を熱くした。ただ、眼を覆いたいうとましさだけがくる。そのくせ眼前の飯尾さんをみるとつくづくこの年寄りが、と何かしら可笑しくなってきて、この顔がなまめいたらどんなかと、ああもこうも想像してはしらずしらずに好奇心をそそられていく。そんなことで気もちがそれて紀久子は話すのが一そう億劫になった。そして用事を思いたった気忙しい様子で不意に座を立った。
「あの、お姉さんね、この間の染物のこと飯尾さんにお頼みしてくれるようにって云ってらしてよ」
「ああそのことならさっき通りでお伺いしました」
 飯尾さんは少々気ぬけのした顔に
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