、奴等がだらしなく下げている尻尾を掴んだ時、その時だ。おっ母アの眼が開くなア、奴等を注意してみるんだ。な。尻尾を握るんだ。……今日は帰れよ。俺アとても忙しいんだ。おっ母アの坊主臭え香いを洗い落してからやってきなよ」
欽二は、母親の小さい肩を手で軽く叩いた。
「体を丈夫にしなよ」
お松は変に泪《なみだ》っぽくなり乍ら、後をも見ずに歩き出していた。
ワアッ 塀の中では喚声がかち合っていた。
6
この一週間以来、げっそり瘠せて碌に飯も食わないでゴロゴロしていた白痴の娘は、とうとう床についたその夜、激しい腹痛を泣き喚き乍ら母親に訴えた。真夜中になって、彼女は黒っぽい液体を何回も吐いた。便所へ行く度にひどい出血をした。悲痛な声を放って救いを求めた。お松は、娘を抱え、起し、寝かしつけ、彼女自身血まみれになって介抱した。
この騒ぎに、隣室の牧師は起き出してこようともしない。だが、お松は寧ろ彼の存在を忘れて夢中になっていた。
眼を擦《こす》り擦りやっと医者がやってきた。
帰りぎわに、彼は難かしい皺の中から囁いていった。
「僕《わし》は専門じゃないから判っ切り云えんがな、娘さんは飛んでもないことを仕出かしとる、立派に妊娠していられたものを堕胎剤を飲んでいるらしいて。これは恐しいことだ。全くもって。誰れか専門のお方に診察してもらわんとな。早くですぞ。早くな……」
老医師は、臆病な鼠のように性急に逃げていった。
大きな金槌で、ガアンと頭のてっぺんをどやされた形だった。
胸の中を真紅な焔が燃えた。眼の前が一様に白っぽい布で覆われた。何も分らない。何も彼もだ……
だが、やがて一条の冷水が彼女の昂奮の中を下っていった。
「兼、兼坊、お前は一体何をやったんだい。おっ母アにみんな云ってみな。な、云ってみな……」
白眼を出した儘、娘は微笑した。
「な、兼、云ってみな。どうして……」
「……アーメンだい。アーメン……」
不意にひどい苦悶の中から、娘は人差指を振りあげて隣室を指した。泣き笑いがその後に続いた。
「……先生かい。兼、アーメンかい」
喉に黒い固りが閊《つか》えた。
「矢張りだ。野郎、矢張りだ。こんな事をして、こんな……」
白く乾いた唇がカサカサ慄えた。老人の眼は火になって輝いた。指が虚空を掴んだ。
「狐だ! 狐だ! 狐だ!」
お松の足が襖《ふす
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