町の人からは相手にされなかった。相手にしてくれるのは、酔いどれ仲間ばかりである。
綿入れの丹前《どんぶく》をひっかけた、のっぽの仙太が、ひょろひょろした足どりで町中を歩いていると、人びとは避けるようにして、足早にすぎてしまう。こんなおりのひとびとの顔には一種よそよそしいような、蔑むような、白々しい表情が掠めすぎる。それは、ちょうど人びとが、七曲りの松の木を眺め、松の近傍で憩うている在郷者を眺める時の表情に似ている。
町の人たちの頭には、この七曲りの松の木は、いつも仙太と結びつけられて、不気味に印象されていた。
往還をまだ幌馬車が通っていた頃のことであるから、もう、ずい分と昔のはなしになる。居眠りこけていたこの小さな町を、どよめき立たせるような出来事が起った。
その頃、若かった仙太は、毎日の鬱した心をもてあましていた。恋女房のお高のことばかりが想われた。ふとした貸金のことから、親どうしの張り合いになって、お高は実家に連れ戻されているのであった。
それ以来、若い仙太は、飼犬の黒をつれて、山へ行く日が続いた。
犬は、その日も、尻尾を右巻きにして熊笹の藪に突き進んで行った。仙太は根っ子につまずいて転びそうになったが、立ちなおると、冷えびえする空気を深々と吸いこんで、銃を肩換えした。
風が、うっすらと雪をかむった坊主の守山を一気におりて、松林を鳴らし去った。山の上空を険しく雲が覆うていた。
仙太は、ザザ……と藪へわけ入った。
「黒! 黒!」
犬は笹の間から黒い尖った顔を向けて待っている。
「何してる。そら、そこだ!」
笹藪がはげしく音をたてて、ひとしきり、うねった。犬は、また、黒い瞳を向けた。途方にくれているようにみえた。
「何してる!」
仙太は怒鳴った。そして、腰から笹に掩われて、凝っと立ち停っていた。
松林が、ごう、と鳴った。雲が威嚇するように頭の上にひろがってきた。鴉が麓のほうへ急ぎ飛んだ。
犬は尻尾を垂れて藪から道へ出た。身ぶるいをしながら、とっとと坂を駈け登って行った。
仙太は朝日を啣えたまま、未だ同じところに立って考えに沈んでいた。
「黒じゃねえか、吃驚させるない」
松林の向うで声がした。犬と一緒に古川町の先生が降りて来た。ざくざく、と石ころが鳴った。
「仙太さん、獲物あったかい?」
仙太は黙って、辞儀をした。
「何撃ちにきた?」
「わしですか。何撃ちにきたか分らねえです」
「こんな天気だからな、蕈こ[#「こ」に傍点]取りにも会わねえして……。お父《ど》さん、家かい?」
先生は手の甲で赤髭を撫でた。
「相変らずでして。寝てる間も起きてる間も、算盤玉こ[#「こ」に傍点]ばかりはじいていますて」
仙太の父親は、油商売のほかに、高利で金を貸付けていた。
「算盤玉こ[#「こ」に傍点]もええが、お前のことにも困ったもんだな」
仙太は藪を出て、先生のあとから道を下って行った。黒は早足で二三間さきを急いでいた。そして、時々ふりかえった。
雲がすっかり空を覆い、いまにも雨が降りそうだった。松林が、ごうごう、音をたてていた。
「仕様ねえです。何言ったって始まらねえですよ、先生」
「昨晩《ゆうべ》な、お前のお父《ど》さんが来て大体の話は聞いたが、それあ菅原の家も無理矢理身重の高さんを引っ張って行くってのは道理に外れている! お父さんもお父さんで、約束は約束だからな、今すぐ出来ねえと断らんでも、なんとか言いようもあるもんだと思う。お前の家にとって千円位の金がなんとかならんわけでもあるまいし、おっつけ孫の顔を見ようというどたんばになって、親同志の張り合いじゃあ、仲人になったこの俺も立つ瀬がないというもんだして……」
「わしもそう思うです。お父《ど》にも何度も頼んでみたんですが、今じゃお父よりもお母《が》のほうが意地を張って、けしかけているような始末です。高の悪口ありったけ並べ立てて、ゆうべなんかも、穀《ごく》つぶしが減ってせいせいしたなんて……あんまりだと思うと、ついわしも肚が立って怒鳴りつけてしまうし、この頃は、家にいるとくさくさするので、山さばかり来ていますて」
仙太は道端の松の木に片手を触れながら歩いた。
「俺も仲人になった手前、この話は何んとか纏りを付けねば、第一世間に顔向けが出来ねえしなあ。お前もここ暫らく辛抱して、楯つかねえ様にしな。おっつけ恰好がついたら、役場さでも出るようにして、家を別に二人っ切りで持つだなあ」
仙太をやりすごしておいて、先生は、空を仰ぎながら立小便をした。
「何んと、雲の早えこと!」
仙太は少しさきで待った。爪さきで石ころをはじきとばしながら、何故ともなく、結婚当時の生きいきとしたお高の姿を思い浮べていた。頤を突き出すようにした甘え顔の愛おしさ、羞を含んで俯向いた時の
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