―仙太はこう言って、お高の手を握り締めた。お高は、握られないほうの手で、仙太の手をさすった。
「あんたは、山へばかり行ってるって?」
 と、お高は小さい声できいた。
「ああ、昼間は家にいるのが辛いんだ。お父やお母とは気持がしっくりせんしな。それに、町を歩いていても、町の人はみんな変な眼で俺を見る。今もな、床屋さ行って髭剃ってきたが、俺が、入って行ったら、みんな帰ってしまうんだ。皆が皆、この俺を白い眼で見る。すると、俺は、何敗けてなるもんか、という気になってくる。今の俺にはお前さえあれあなあ。お前さえ俺を信じていてくれれあ千人力だ。世間の奴等糞くらえだ。それに先生だって付いててくれるもんなあ」
 お高は仙太の顔へ手をやった。
「ほんとに、きれい!」
「お前に逢うためによ。床屋の親方、どんな気持ちで剃刀あてたかな」
 仙太は低く笑った。そして、お高を強く抱擁した。
 急に二人は風が歇《や》んだと思った。併し、それは、黒がいつのまにか二人の傍に来ていたのだった。
「黒じゃないの。よしよし」
 お高は頭を撫でてやった。黒はクンクン、鼻をならして、その手を舐めまわした。
 仙太は話を続けた。それにしても、こうして別々にいると一日一日がとても苦痛でやりきれない。互の思いが変らないとしても、これでは、変っていると同じではないか。柳屋先生に頼んでも、どうも廻りくどくて待ち切れない。どうだ、いっそのこと、これから自分の家へ行かないか。二人で親に頼みこんでみよう。何んぼなんでも子であり、孫をみようというのに、二人さえしっかり離れないでいれば、そう因業なことも言うまい。――仙太はだんだん熱してきた。――親同志のことは先生にまかせることにしよう。それでもとやかく言うなら二人で逃げてもいいじゃないか。東京へでも行ってしまおう。
 お高は昂奮してくる仙太の息づかいを、じっと窺っていた。
「でも、この体ではねえ」
 お高は溜息をついた。
「それよか、いっそ柳屋先生のとこへ行って、親どうしに来てもらって、話を決めてしまったら」
「そうだ」
 と、仙太は弾み立った。お高は抑えて、
「きょうはお父さんが役場の用で県下へ行って、終列車で帰ることになっているもの、明日《あす》にしたら……」
「いや、今日にしよう。これから行くことにしよう。二人の生き死にの問題じゃないか。直ぐ行こう」
 仙太は立ち上った。
 町に着いた馬車の喇叭が風の中に震えてきこえた。
「お父さんが帰ってきたかもしれない……」
 お高はもう一度悠っくり考えたかった。不調に終った場合を想像すると、どうしても仙太の疾る心を抑えつけたかった。しかし、一途な仙太の激しい気性を知っていたから、もう、どうしようもないと諦めて、つられて歩きはじめた。
 二人は揃って墓地を出た。真っ暗だった。
「いいじゃないか、夫婦だもの」
 仙太はどうしても離ればなれに歩くのに反対した。そして、突然、つよくお高を抱きしめた。
「あえ、この人ったら! だれか見てるして」
 お高は、一息ひと息に途切らして、ようよう、こう囁いた。
 道には誰もいなかった。けれど、お高は俯向きに、裾をおさえて、仙太よりも少し遅れて歩いた。
 黒は二人の先を行った。

 柳屋先生宅での会談は、不調に終った。
 先生のはからいから、若い者には先に帰ってもらって、親どうしの話し合いであった。
 お高の父親の菅原孫市の言い分はこうである。
「世間では、娘と金を引き換えだなんて言ってる人もあるようですが、わしだって、この町の収入役をしているくらいの人間だし、そんな人身御供みたいな真似をしたわけでもねえです。最初から当人同志が惚れ合った仲だし、むしろ喜んでるですが、それとこれとは違って、あぶらやさんがあれだけ堅く約束した貸金のことは、恥をさらすようなものですが、此方もせっぱ詰った揚句のことで、それすら実行して呉れねえとなると、将来親戚としてつき合っていけるかどうか心細くなるし、いっそのこと、今の内にと、引き取ったわけでしてな」
 仙太の父親は、こう受ける。
「それについては、手前の方からお話しねば分らねえです。先達も、先生さお話申したような訳でして、お高さんを金で買ったでもねえし、また家さ金のなる木を植えてるわけでもねえし、何んとか遣り繰り算段して、その内に、利子だけは負けにして融通しようと思っていたですが、何んせえこの頃の不景気じゃあ店は売れねえし、貸金は利子も入らねえ始末でして……それを無理にこうしろ、しなければお高さんを連れて行くっていうのはあんまりな仕打ちで……」
「そんなに金に困ってる人が、先々月県下の木工会社さ五千円も貸し付けたって話ですが、あぶらやさんは話はうまいが、利子生まねえ金あ持ってねえとみえて……先生、まあ聞いて下さい。人にも話せねえことです
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