から覗くと、洩れ陽の射した畳が赤ちゃけて冷たく光り、御本尊は須弥壇の奥深くて、拝めなかった。
 川に沿って引き返した。流れが早く透明だった。戸口毎に女衆がしゃがんで、菜っ葉を洗ったり米をといだりしていた。芹を摘んでいる子供もいた。
 清子は久しぶりに後ろ手に組みながら、娘時代の友人たちを思い浮べた。そしてこれから先きの年々、姑と二人のささやかな暮しが今眼の前で始められたような気がするのだった。
「なんと、腹コの空くこと。おしよし[#「おしよし」に傍点]くてなし」
 姑は気まり悪そうに言いながらも、足を早めた。空気のいいのは薬だといい、けれどもこんなに腹コが空いては節米に適わぬとて笑うのだった。
「また、今朝もとろろ[#「とろろ」に傍点]よ。さっき、おかみさんが一生懸命で摺り粉木をまわしていましたよ」
「とろろ[#「とろろ」に傍点]に明けてとろろ[#「とろろ」に傍点]に暮れるだべしちえ」
 二人はクツクツと笑いあった。
 宿が間近かった。百姓家の戸口前に子供等が争って空罐の中へ手を突っ込んではミミズをつまみあげて、金網をのぞいていた。金網の中には鴉が一羽入っていた。嘴の染まりきらぬ色合いや着ぶくれているような羽毛の落ちつきのない恰好に、まだ育ちきらないあどけなさが見える。子供が網の目からミミズを垂らしてやると、ちょっとすざって赤い口を開け、カッカッカッとせっかちに鳴きたてながら羽ばたきした。羽の先きが切ってあって、変にちび[#「ちび」に傍点]てぶざまに見えた。
 金網の中には欠けた小鉢があって、御飯つぶが散らかっていた。仔鴉がミミズに取り合わないのを見とどけると子供等は、今度は戸を開けて引き出しにかかった。しばらくしてヨチヨチと戸のところまで寄ってきたが、すぐに網の中に戻って、それなりうずくまった。
 まだ雛のうちに巣からさらってきたということが子供の説明で分った。残飯で育ててきたのだったが、今では御飯つぶ以外のものをやっても喰べないという。先だっても蛙の肉をやって試してみたが駄目だったと子供等は残念そうだった。
 ミミズの匍いまわる金網の中に、すくんだような眼いろをしている仔鴉を見ながら清子は良人を思い出した。いつだったか、生れて初めての雑誌社の座談会に招ばれて支那料理の馳走になったことがあったけれど、帰宅すると早々腹痛をおこして、御馳走はこりごりだと言った。変ったものを口にすると、きっと、あとで腹痛をうったえた。あんなにお粥を喜んでいた良人であった。
 先きに宿へ帰っていた姑は、掃除のすんだ部屋の炉端で茶を喫んでいた。
 裏の藪から鶯の声が聞えてきた。
「おかあさん、鶯よ」
 きこえないらしい。
「おかあさん、鶯が啼いていますよ」
 姑は茶碗を口にあてたなり振り向いて、
「ほんとに、いい按配のお茶ッコだしてえ」
 と、うなずいてみせた。
 清子はそれなり、鶯のことにはふれなかった。



底本:「神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年4月10日第1刷発行
底本の親本:「矢田津世子全集」小沢書店
   1989(平成元)年5月
初出:「改造」
   1941(昭和16)年2月号
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2008年8月16日作成
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