るのを奇異の眼でみるのである。
種のきたのは内儀さんが床の上の暮しを初めるようになってからであった。一昨年の秋口のことである。永い間の栄養不足と過労が祟って内儀さんの肺疾が今ではずい分と悪い方である。医者は病人を起してくれるな、という。賄の方をみてくれるものがいないので不自由をする。桂庵から女中を雇ったのでは高くつくと思った爺さんはつて[#「つて」に傍点]を頼って孤児院から種をつれてきた。はなのうちはそれでも僅かばかりの給金をやっていたが、そのうち種の方でこれを辞退するようになった。生れつき足の悪い種はこれをひけ目に思う気もちがあって、存分に立ち働きの出来ぬ身を主人夫婦にすまないと思うている。この気心が爺さんには呑みこめている。そして、急ぎの用事などで種が不自由な足をひきずり出すと「そうそう、お前は足が悪かったっけな、どれ、俺がひとっぱしり行ってこう!」
と云うて、用事を自分で足してしまうことが度々である。種はこう云われることで自分のひけ目さを一そう強く感じる。このすまなさを何かで償いたいとの心がけから内儀さんの賃仕事を手伝ったり、内職の袋貼りなどで得た稼ぎ高を自分の食い扶持の足し前にしてくれるように、と爺さんの手へそっくり渡しているのだった。
時折り、竹鋏を持ち出した爺さんに塵芥《ごみ》箱の中をかきまわされて大根の尻っぽだの出し[#「出し」に傍点]昆布の出殻をつまみあげられては、
「勿体ないことをしくさる。煮付けておけば立派なお菜になるぜ」などと叱言を云われる位がつらいだけで、常は、孤児院の世話になっていた頃にくらべれば、種がためにはお大尽のおひい様の気らくさにも思われる。こんな仕合せな気もちでいられるのも元をただせば内儀さんの劬《いたわ》りに負うところが多かった。内儀さんとすれば、種が自分を生みの母親とでも思いこんでいるのか骨身を惜しまず、下《しも》の方の世話までしてくれるその心根がいじらしい上に永い間、お初のことやら病気やらで思いやつれた孤独の身が今では種を唯ひとりの頼りに生き永らえているようなものである。これが種にもうっすら分ってくる。不仕合せな内儀さんに寄り添う心が強まってきて、一そうまめ[#「まめ」に傍点]に仕える。十四の年齢《とし》まで孤児院にいて、水汲みや拭き掃除を一人で受けもっていた種にとっては病人の世話ぐらい易いのである。
床の上に坐った内儀さんは種に髪を梳してもらいながら「ああ、わたしにもこんな女の子があったらなあ」と思うことがよくある。それがつい溜息になって出ると内儀さんはてれかくしのつもりか「種が優しくしてくれるので、わたしは全で自分の娘のような気がするよ」
などと云うたりする。櫛を持った種はそれを聞きながら何やらぞくっとする程嬉しくて、一そう努めようとする気もちから内儀さんの髪がひっぱられて釣り目になるのもかまわず脚をふんばってはせっせと梳してやるのだった。
母を知らぬ種が内儀さんを慕い、内儀さんが種を頼りにする気もちが次第に結ばれていって、いつとはなしにそれが母娘のような間柄になっている。爺さんに隠れて甘《うま》いものを食べることもある。家計を少しばかりごまかして内儀さんが種へ染絣を買うてやることもある。種が内職の稼ぎ高のいくらかを別にしておいて、それでこっそり内儀さんの好きな豆餅を奢ることもある。こんな隠し事が度重なるにつれて内儀さんと種の仲は一そう親密に結ばれていく。
夜分は爺さんが留守がちなので内儀さんも種も賃仕事の針を動かしていることが多い。
内儀さんがこんな風に話し出す。
「どうもねえ、山吹町の人たちは底に何かたくらみがあって此方の気嫌をとりに来るようで、わたしは厭なのだよ。種はどう思うかえ?」
「左様でございますねえ。あちらの旦那様もお坊ちゃんも金壺眼できょろきょろ御らんになる様子ったら、ほんとうにもの欲しそうですよ。金壺眼のお人は慾ばりの性わるですってね。院長さんがそう仰言ってでした。孤児院にも勘坊っていう金壺眼の子がいましてね、それあ慾ばりだった。どんなに私御膳を盗まれたかしれないもの」
「御膳を盗むのかえ?」
「はあ、ひとりずつお茶碗へ貰ってきて、それをテーブルの上へ置いてこんどお汁を貰いにいって帰ってくると、もう勘坊が食べてしまって無いんです。金壺眼の子ってほんとうに性わるですねえ。でも、こちらの旦那様がお身内なんですもの、御養子にお貰いになるのでしよう?」
「それがねえ、うち[#「うち」に傍点]は口でばかり山吹町は御免だ、って云うてなさるけど、肚ではもう決めていなさるかもしれないのだよ。山吹町のを貰うくらいなら種を養女にしたいのだがねえ」
こう云うて内儀さんは思案にくれる。種を養女にしたい、などと口では云うても内儀さんの心はこのことにてんで無頓着である。内儀さんが思い悩んでいるのは、安さんの次男坊か従弟の倅かである。種に云われてみれば、どうも金壺眼の太七を貰う気もしないので、やはり思いは代書屋の倅の方へ走るのである。早く養子を決めておかないことには自分の死んだあとへお初にでも乗りこまれて、この家を我がもの顔にされたのでは間尺にあわない。内儀さんの思案はこれにかかっている。そうとも知らない種は内儀さんの口を信じこんでいる。その内、旦那から更めてこの話が切り出されるだろう。種は待つ気もちでいる。養女になれば、やがてこの家のものを受け継ぐことになる。――こんな思惑が日毎に募ってくるにつれて、種はこの家の娘になった気もちになってくる。そして、馬淵の家のお宝へ執着する心からだんだん爺さんに倣って嗇くなり、内職の稼ぎ高を一銭でも余計にあげようとはげんだ。
内儀さんからお初の話を滅多に聞くことのない種は、何かの急用で袋町へ爺さんを呼びにやらされる時はへんにお初へこだわって、内儀さんへ気兼ねをすることがある。使いから戻っても内儀さんは何んにもきかない。いつもの穏やかな顔でやすんでいることもあれば、床へ坐って針を動かしていることもある。ただ、そんな時の内儀さんは妙に気力のぬけた鈍った表情をしていて、種が何か話しかけても億劫そうに頷く位である。
種の前でもお初へは触れることのすくない内儀さんは、爺さんの前では余計に口を噤もうとするところがみえる。時たま、爺さんが何かのはずみでお初の名を口に出すことがあっても内儀さんは素直な顔で頷いているだけだ。これまで、さんざお初のことで思い悩んできた内儀さんにとっては、お初は、もう今では諦めの淵の遠い石ころになっている。
春の終りに近い或る日暮れ時にこんなことがあった。
晩御飯をすませた爺さんはもう袋町へ出かけている。うす陽の残っている縁の障子に向って床の上の内儀さんは針を動かしている。後かたづけのすんだ種がその傍に小さい茶ぶ台をすえて、竹べらでせっせと内職のかん[#「かん」に傍点]袋を貼っている。ふと、内儀さんが針の手を停めて、じっと何かに視入っているような気配を感じて種は目をあげた。障子の裏側を一匹の毛虫が匍いのぼっていく。内儀さんの眼はそれに吸い寄せられている。小指程の大きさの黒い体をうねうねさせて、みている間に二つの桟をのぼった。黒い硬い毛が障子にふれてカサカサというような微かな音をたてる。内儀さんは眸を凝らして視ている。毛虫が四つ目の桟を越えた時、内儀さんは障子へ手をのばした。毛虫はひとうねのぼった。内儀さんは持っていた針を突き刺した。毛虫は激しくうねった。うねりながら針に刺された体が反りかえった。緑色の汁が障子を伝って糸のように垂れた。内儀さんの眼は毛虫を離れないでいる。やがて、うねりが止んで、針に刺されたままの黒い体が高く頭をもたげて反りかえった。
四
秋風が肌に沁みるようになってきた。
袋町のお初の家へ馬淵の爺さんはここ数日姿をみせない。内儀さんが余程悪いのだろう、と母娘のものは話しあっている。早くまあ仏様のお仲間いりをしてくれればいいに、とおっ母さんはこっそりと独り言を云うて仏壇へお燈明をあげる時も内儀さんがもう仏様にでもなったつもりでお念仏を唱えている。
お初は内儀さんが悪いときいてからは妙に気が落付かない。その寿命を縮めているのが自分のような気がしてならないのだ。あとで報いがこなければいいが、と今から怖気《おじけ》ている。内儀さんの片付くのを待つ気もちのおっ母さんは、母娘のものが馬淵の家へ乗りこむその日を嬉しそうに話しているけれど、これがお初には一向に面白くない。あんな爺さんは旦那だから我慢をしているものの御亭主にしたいなどとは爪の垢程も思っちゃいない。――お初は爺さんの内儀さんになった自分を考えるだけでもみじめな気がする。ただ、おっ母さんのいかにも嬉しそうな落付きのない様子をみていると、お初は自分も嬉しそうにしていなければ済まないと思うて笑顔になる。
二、三日前のことである。
髪結いの帰り、今日は寅の日なのを思い出して毘沙門へお詣りに廻ったお初が戻ってくると妙に浮かない顔で何か思案事に心を奪われているという様子である。店で洗粉の卸し屋と話しこんでいたおっ母さんが声をかけても聞えないような風で梯子段をのぼっていく。
「どうしたのさ」
あとからおっ母さんが案じ顔で二階をのぞきこむと、窓枠へ凭りかかって呆んやりと金魚の鉢を眺めていたお初は気がついたように笑って、
「何んでもないのよ、おっ母さん、さっきね、坂で昔のお友だちに会ったの。嬉しかったわ」
と、何気ないように云った。何んだ、そんなことかい、とでもいうような顔でおっ母さんは店が気になるのかさっさと降りていった。母への気兼ねからお初は剥き出しには話をしなかったが、実は、さっき会った友だちに妙に心を惹かれていたのである。
お詣りをすませて毘沙門を出てきたところを、「あら、お初っちゃんじゃないの」と声をかけられた。小学校の時仲好しだった遠藤琴子だとすぐに気が付いた。小石川の水道端に世帯をもってからまだ間がなく、今日は買物でこちらへ出てきたのだ、という。紅谷の二階へ上って汁粉を食べながら昔話がひと区切りつくと、琴子は仕合せな身上話を初めた。婿さんの新吉さんは五ツちがいの今年二十八で申分のない温厚な銀行員。毎日の帰宅が判で押したように五時きっかりなの。ひとりでは喫茶店へもよう入れないような内気なたち[#「たち」に傍点]なので、まして悪あそびをされる気苦労もなし、何処へ行くのにも「さあ、琴ちゃん」何をするのにも「さあ、琴ちゃん」で、あたしがいないではからきし[#「からきし」に傍点]意気地がないの。まるで、あんた、赤ん坊よ。――と、いかにも、愉しそうな話しぶりである。それに惹きいれられて、お初が琴子の新世帯をああもこうも想像していると、
「お初ちゃんはどうなの?」
ときかれた。
「ええ、あたし……」
と云うたなり、うまく返事が出てこない。それなり俯向いて黙りこんでいると、お初の髪《あたま》から履物まで素ばしこく眼を通していた琴子は、ふっと気が付いたように時計をみて、
「もう、そろそろ宅の戻る時間ですから……」
と、別れを告げた。
紅谷の前に立って琴子のうしろ姿を見送っていたお初は何やら暗い寂しい気もちになって今にも泣きたいようである。仕合せな琴子にくらべてわが身のやるせなさが思われる。どんな気苦労をしてもいいから、自分もまた琴子のように似合いの男と愉しい世帯をもってみたいものだとつくづく思った。
もの心のつく頃から母の手を離れて花川戸の親類の家で育ったお初は近所の人の世話で新橋の相模屋という肉屋の女中になったのが十六の年であった。お初がまだ赤坊の頃、お父つぁんは流行《はやり》病いで亡くなった、と母にはきかされていたが、親類のものたちの話し合うているのをきけば、朝鮮あたりへ出稼ぎに行っている様子であった。どちらにしても、お初には大して父親への執着がなく、まあ、生きていてくれたらいつかは会えるだろう、と思う位である。お初の働いていた相模屋は前々から借財がかさんでいて、その債権者の一人が馬淵猪之助であった。当時五十二歳の猪之
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