時の癖が出てきているのである。
 その頃、おっ母さんは向島の待合大むらというのに仲居をつとめていてお初を花川戸の親類の家にあずけておいた。観音様へ月詣りをしていたので、そのたびに花川戸へ寄ってお初をつれ出してはお詣りをすませて仲見世をぶらつくのが慣しになっている。仲見世にはお初の欲しいものが沢山ある。絵草紙屋の前にしゃがんで動かないこともある。大正琴にきき惚れている人だかりへまぎれこんで、おっ母さんを見失ったこともある。「何んか買うてよう」とねだれば、決り文句のように「また、あとでねえ」と宥められる。その「あとで」をあて[#「あて」に傍点]にして次のお詣りに早速ねだると約束をけろりと忘れたおっ母さんは「また、あとでねえ」と宥めるように言うのである。そこでお初はしつっこくねだるようになる。人形屋の前でおっ母さんの袂へしがみついて離れないようになる。これにはおっ母さんも呆れたように笑って、渋りながらも帯の間から青皮の小さなガマ口を出して人形を買うてくれるのである。――
 初めのうちは云い出し難かった爺さんへの無心も、いつの間にか子供の頃の慣しで容易になり、爺さんの方でも、つい負けて出してし
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