時の癖が出てきているのである。
その頃、おっ母さんは向島の待合大むらというのに仲居をつとめていてお初を花川戸の親類の家にあずけておいた。観音様へ月詣りをしていたので、そのたびに花川戸へ寄ってお初をつれ出してはお詣りをすませて仲見世をぶらつくのが慣しになっている。仲見世にはお初の欲しいものが沢山ある。絵草紙屋の前にしゃがんで動かないこともある。大正琴にきき惚れている人だかりへまぎれこんで、おっ母さんを見失ったこともある。「何んか買うてよう」とねだれば、決り文句のように「また、あとでねえ」と宥められる。その「あとで」をあて[#「あて」に傍点]にして次のお詣りに早速ねだると約束をけろりと忘れたおっ母さんは「また、あとでねえ」と宥めるように言うのである。そこでお初はしつっこくねだるようになる。人形屋の前でおっ母さんの袂へしがみついて離れないようになる。これにはおっ母さんも呆れたように笑って、渋りながらも帯の間から青皮の小さなガマ口を出して人形を買うてくれるのである。――
初めのうちは云い出し難かった爺さんへの無心も、いつの間にか子供の頃の慣しで容易になり、爺さんの方でも、つい負けて出してしまうという具合である。
爺さんに貰った幣《さつ》を帯の間へ挟んで鏡台の前を立ったお初は梯子段のところまで行って、
「おっ母さん、お茶はまだですか」と呼ばわった。その声に釣られたようにおっ母さんが茶盆へ玉子煎餅の入った鉢と茶道具をのせて上ってきた。
「どうぞ、御ゆるりと」
敷居のところへ片手をついてこう辞儀をすると梯子段の降り口の唐紙をぴたりと閉めて下った。
おっ母さんの物腰には大むらの仲居をしていた頃の仕来りがぬけない。お初たちが茶のみ話をしているうちに、よく隣りの間へ夜のものをのべることがある。それをお初がむきになって停めたりすれば、解《げ》せない顔付きで「どうせ、遊んでいるんだのに……」と云うて、手持ち無沙汰げに渋々と下っていく。母のそつ[#「そつ」に傍点]のなさをみせられるたびにお初は自分を恥じて顔を赧める。おっ母さんは自分を何んだと思っているのだろう。――恥じの中でこんな肚立たしい気もちにもなる。母のとり扱いをみていると自分は全で安待合へ招ばれたみずてん[#「みずてん」に傍点]芸者という按配である。お初には母のそつのなさがどうにも我慢がならない。そのくせ面と向っては愚痴ひ
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