につれて出かけるのが慣しになり、常着類の柄模様を自分から見立ててやって、おしもの肩に掛けさせ、眼を細めて眺めている容子はいかにも満足気である。このような内証事は、夫人にとっては一種の道楽のようなものであった。
そのうち、おしもは、女中というよりは娘分に近い扱いをうけるようになって、麻雀卓子の出るたびに仲間へ加えられる。老年に入ってからの唐沢氏は、暇潰しにこんな遊びを始めるようになって、老夫人に慶太郎も、その都度お相手を云いつかる。そんな座が重なるにつれて、老夫人は一そうおしもを身近いものに思うて、足の不自由なのを口実に、良人の世話をまかせるようになる。夜分早くに寝室へ入った唐沢氏がおしもに頭を揉ませているのにも格別疑いをはさまなかったし、まして、古書を探しに唐沢氏がおしもをつれて蔵へ入るのは、夫人にとっては普通事であった。良人に信頼をおく――そんな気もちよりも、てんからおしもを子供扱いにしているので、疑いの心が起ってこないのだった。それだけに、夫人は今度のことを自分の落ち度に思うのである。子供だと気をゆるして安気に構えていた自分へ肚が立つ。そして、舌をちょろつかせてものを言う甘えようや、始終ニコニコと笑っているこのあどけない顔が良人を誘惑するて[#「て」に傍点]だったのか、と夫人は今十九のおしもに四十年増の手練手管を見た気がする。
この日、慶太郎が学校へ出かけて間もなく、痛む脚を日向で揉んでいた老夫人のもとへ、竹早町の横尾から電話がかかってきた。姉娘の園子の嫁いだ先きである。お春に代って聴かせると、園子の声でこれから伺ってもよいか、という。先刻から園子を招び寄せたい衝動で騒ぎたっていた夫人の心は、この言葉をきいて急に潤されたような落付きをとりもどした。そして、もう愬《うった》えている自分の姿が眼前にちらつき、涙がこみあげてくる。お春を呼んで、普段は使っていない離れの茶室へ火を入れさせた。今日は女中たちを遠ざけて、園子と相談をしなければならない更った心構えである。茶菓の類も、園子がみえない前から運ばせておいた。やがて、内玄関に気配がすると、老夫人はいつものように出迎いには出ず、先きに離れへ入って待った。
今年六つになる末の女の子をつれて園子が入ってきた。
「お母さま、お茶を点てて下さるの?」
めずらしそうな顔で炉端へ坐って、
「今日はね、この子のお誕生日なので、五もくを拵えましたの。お母さまお好きのようでしたから……」
云いながら膝の上に置いた重箱の蓋を取ってみせた。
「それはまあ、御馳走さまだこと。このお祖母ちゃまはうっかりお祝いを忘れていましたねえ。ごめんなさいよ」
老夫人は孫の頭を撫でて詫びた。そこへ、おしもがニコニコした顔で入ってきて、
「お待たせいたしました」
と云って、盆へのせた小皿を差し出した。
「云いつけもしないのに何んで持ってくるのです」
突然、老夫人は険しい声音で叱りつけた。叱られることには慣れているおしもも、今日の主人のものいいにはいつもと異った用捨のならぬ厳しさを感じて怖気立つのだが、手をついて畏まっているその顔が癖のニコニコと笑っているのには気が付かない。この笑顔が老夫人の癇にさわった。舐められているような侮蔑感から身内が熱してきた。
「お下り!」
徐かに云ったつもりであったが、ひきつけたように声が震えていた。
園子は、思いがけぬ激しい気色の母を見て、呆気にとられていた。おしもが下ると、
「お母さま!」
と小さく呼んで窺うように、
「お小皿を持ってくるように、っておしもへはわたくしが云いつけましたの」
園子は小皿ののっている盆を引き寄せて、
「しようのない娘《こ》ね、お箸を忘れているわ」
と笑った。そして、その笑い顔を崩さずに母へ向けて、
「あの娘、また何か粗相でも致しましたの」
と徐かに問うた。
炉の灰をかきならしていた老夫人は顔をあげて、ちょっと頬笑んだ。そして、何故ともなく眼を外して、
「あれの粗相は毎度のことです」
と溜息まじりに云った。粗相にしては、大きな粗相を仕出かしたものだ、と今度のことを思うのである。
「あれにも困りました」
云いかけて夫人は口を噤んだ。
先刻から園子の膝へもたれてキャラメルを剥いて遊んでいた女の子が今の騒ぎですっかり飴を忘れて、もの珍らしそうな眼つきで老夫人を視詰めている。その小さい眼が妙に気にかかって、云い出し難くなる。そして、あやすように、
「玉江さん、春やとお庭へ行ってごらんなさい。緋鯉が大へんに大きくなりましたよ」
声をかけると、「いや」とかぶりを振って一そう園子の膝へしがみつくようにする。
「この子は少し風邪気のようですからお家の方がいいのね。さ、こうやっておとなしくしていらっしゃい」
園子は子供の上へ屈みこんで、袂を着せかけた。
子供のいるということが妙に話を食い停めてしまう。老夫人は踏み出しのつかぬ気もちで焦れていたが、
「おしものことで、この間から相談をしてみたいと思うていたけれど、あの娘ももう年頃ですからねえ、どこか堅気なところへ嫁にやりたいと思うて……」
話がいつかそれていた。
「急には心あたりもないけど、会社の人でどなたかいないかしら? 横尾にも話して心がけさせておきますわ」
「そうして頂けばわたしも安気ですよ。あれは小々呆んやりだけれど、まあ、気立てはよい方ですからねえ」
それを云いながら、老夫人は自分の口を何やらよそものに感じた。
三
園子の持ってきた五もくを開いて遅い中食をすませたところへ唐沢氏が帰って来た。小刻みな性急な足どりで離れへ入ってきて、
「どうも、今日は眉が痒うて、珍客が来よると思っとったが、坊主だったのか」
大きな掌で、孫のおかっぱを掻きまわすような具合に撫でていたが、食卓の上の五もく鮨を見付けると指でひと撮み口へ投りこんでおいて、
「さあ、坊主、お祖父さまのお部屋へ行こう」
腰を屈めて自分も子供の背丈になり、手をつなぎあってチョコチョコと廊下を駈けて行く。いかにも好々爺然とした恰好であった。
「お父さま、お元気そうだこと」
廊下へ頸をかしげて見送っていた園子が独り言に云った。
「この頃は余計お元気でねえ」
老夫人が苦笑した。
「ほんとうにね、お父さまこの頃は工場の方もお廻りですって? 横尾からきいたんですけど、仲々お眼が届くから職工の働きが違うそうですわ。大そう能率が上るそうで、横尾なんか、とても叶わないって云ってますわ」
その話に、老夫人は素直に頷いた。そして、良人の活動力を尊敬する心が、ふと、それに繋がるおしもの存在を必要なものに考える。何人の妻がこの錯覚におちいることだろう。良人の活動力の源泉をおしもに見ることによって、おしもの存在が許される。妾というものの存在理由も、ひとつには、妻のこうした諦観的な態度に繋っている場合が多い。子供の頃の夫人は、母のこうした姿のみを眺めて暮してきた。父は羽後でも名だたる酒の醸造元で、今でも名酒と折紙をつけられている「鶴亀」「万代」など、この父の苦心の賜物であった。生来、活動的に出来ている体が、朝は明け切らぬうちから酒倉へ入って杜氏を励ましたり酒桶を見廻ったり、倉出し時には人夫に混って荷造りをしたり番頭の帖づけを手伝ったりして、いっ時も休むことなく働きつめるという風だった。この父に、たったひとつ、妾宅なしではすまされぬという困った癖があって、それも二、三軒を見廻り歩くのが慣しになっていて、本宅では殆ど寝泊りをするということがない。母や姉たちと母屋に住み慣れている伊予子は滅多に酒倉や店をのぞくということがないので、常の日は父を見かけることがなかった。正月とか何かの儀式のあるような時にだけ、父は家に戻っている。いまだに町人髷を頭から離さぬ父は、結いあげたばかりの鬢の張った艶々しい髪がいかにも美くしくて、紋服に袴をつけた恰幅のよい姿は大家の旦那然とした貫録を示していた。そんな盛装の父しか記憶にのこっていない稚い伊予子は、父というものはいつも紋服に袴をつけているものと決めていた。だから、ごくたまに、平服の父を母屋で見かけたりする時は、それを直ぐには父だと信じかねた。何かよその人を見るような感じで、それでいて、妙な懐しさから父が厠へ立つのにも一緒にくっついて行った。夜分は、母に抱かれてやすむのが習慣になっている伊予子は、よく母のしのび泣きに醒されて、自分もまた声をあげて泣くことがたびたびであった。
「さあ、いい児だから泣くのではありませんよ。母さんが悪かったこと」
箱枕に額を伏せて泣いていた母は袖口でこっそりと眼を拭くと、起きなおって伊予子を抱きあげるのだった。母の瞼は腫れぼったくなっていて、薄暗い行燈の光りに、ほつれた髪が額に寂しい翳をつくっていた。その顔から、少女の敏感さで、伊予子には母の泣くわけがうすら分る気がした。
「母さん」
呼びかけて、伊予子は無性に哀しく、母の胸に顔をおしつけてしくしくと泣き続けるのだった。ただ、訳もなく紋服姿の父を悪い人だと思った。そして、母の膝にゆすぶられながら泣きじやくっていた顔がおたばこぼん[#「おたばこぼん」に傍点]に結うた小さな頭をかくんと仰向けて、微かな寝息を立て初めるのだった。
或る日のこと、番頭相手に母がこんな風に云っているのを伊予子は聞いたことがあった。
「旦那の身を案じて御意見を申しあげようと云うて下さるお前さんの心はようく分りますが、これは少し早まったことかと思います。旦那の放蕩はお仕事を励ますためのもので、決して、ただのあそびとは考えられません。いわば、あの放蕩がお店を繁昌させているわけですから、そのお為をようく考えてあげて下さい。たのみます」
逸る番頭へ母は手をついて詫びいるような容子であった。人前では父の非行をあくまでも庇いたてるというのが母の常である。その非行を自分の罪にして引け目な思いで暮している。伊予子の見てきた母は、一生をこうして暗く鬱っした思いで終ったのだった。
その母を、今、年老いた伊予子は自分の裡に見るのである。母を不憫に愛おしむ気もちが、しぜん自分へも注がれる。けれど、この気もちの中には何やら歯痒いような憤ろしいような感情が含まれている。そして、これを払い落そうとする心が、知らず知らずに自分の裡から母を追い立てているのだった。
同じあそび[#「あそび」に傍点]をするというても、父の場合は妾宅を泊り歩くのが慣しであったが、唐沢氏は妾宅をつくるということをせず、気にいりの芸者へ凝るという風である。
「俺はお茶屋あそびをするが、玄人相手じゃあお前も妬くわけにはいかんだろう」
時折り、冗談めかしく唐沢氏はこんなことをいう。その口吻には、嫉妬を起してもらっちゃあ此方が迷惑をするからなあ、と暗に夫人を窘《たしな》めておいて、その心に釘を一本ぶちこんでいるようなところがある。
「俺のあそびは仕事のひとつだ」
始終これを聞かされている夫人にとっては、このあそびの相手へ妬情を抱くということは、いわば、良人の仕事へ妬情を抱くと同じようなものである。そして、この良人の「仕事」が妻のあらゆる干渉を食い止める。けれど、一方仕事の圏内では天下御免の良人が誰にも憚からずのうのうとあそんでいられる。ただ、夫人への義理めいた心から、唐沢氏は息子を夫人へあてがっておく。若い頃からリュウマチに苦んでいる夫人を見慣れているので口癖のように、
「お前は病弱だからなあ」
という。それを耳にするたびに夫人は引け目な思いをする。自分は病弱なのだから良人に外であそばれてもしようがない、と諦める。
「慶太郎をばひとつ医者に仕立てて、お前を看取らせることにしよう」
もの優しく、こうも云うてくれる。その劬りが夫人にはこの上なく嬉しいのだ。そして、その劬りにほだされた夫人の心は、いつか、良人の放蕩を大目に見るように馴らされてくる。やがて、その劬りで放蕩が棒引きされ、優しい言葉を聞かされるたびに、すべてを忘れて感謝の念に浸るのだった。
もともと製鋼所をひきつがせたい嗣子の慶
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