齢になっても納まらず、朝は従前通り九時きっかりに出社して、午すぎてから戻ってくる。これという用事が待っているわけではなく、ただ、永年の習慣から出社をしてみなくては気がすまないのである。自動車で送られて社長室へ顔をみせ新社長の相談に乗ってやったり、電話を取り次いでやったり、それから社内を一巡して自動車で帰って来る。いわば、この出社は老人にとっては一種の運動のようなものであった。それが、この頃では興がのって工場の方までも見廻るという調子である。
「そんなに御無理をなすっては、お体にさわりましょう」
老夫人の伊予子が宥めるようにこう云うのを、唐沢氏は大きく手を振って、
「なあに、これしきのこと。儂の体はまだ老耄れてやせんぞ」
と身をもんで、わっはっはっと高笑いをするのだった。
唐沢氏がこんなにも上機嫌なのは稀らしいことである。老夫人の伊予子には、それが嬉しいというよりも、何かちぐはぐな不安な感じが先きにくる。一体に明るい性分ではあるけれども、身をもんで高笑いをするというようなことは、これまでに無いことだった。裡に盛りあがってくる活動力の愉しさが、つい笑いになってこみあげてくるという風で
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