笑顔で誘いかけた。
「素人はあとがうるさいことになるから真っ平だ」
 と云い慣れていた唐沢氏が、その建前を崩して素人へ関りをつけている。金で自由になるという玄人の世界を縁遠いものに考えて、これまで妬情を諦めていた夫人は、おつねさんを前にして不意に胸の疼くような嫉妬を感じた。
「女中たちは?」
 不思議に声だけは、いつもの穏やかさで尋ねられた。
「はい、旦那様のおいいつけで、活動をみせに出しました」
 おつねさんは伏眼になったまま応えた。
「お仕度をして、あなたも見物においでなさい」
 云いのこして夫人は青白んだ顔をひきしめ、利かない片足を曳いて徐かに離れへ行った。――
 忘れていたその時の妬情が、今、老夫人の裡に頭をもたげてくるのである。おつねさんへ抱いたと同じ感情が、おしもへ向っていく。ただ、あの時に較べて今の方が爆ぜるような気力でおしもを視ているのが、自分ながら不思議なことであった。

     四

 十一月もまだ初旬だというのに、この朝夕は肌身を刺すような寒気がつづいて、葉を落した背戸の柿の木には、朱く熟れた実がうっすらと霜をかぶって四つ五つ、寒む風にゆれている。
 茶の間にはもう掘炬燵がしつらえられて、老夫人は此処を自分の居場所と決めて痛む脚を温めている。
「こんなに寒くなっては体にこたえるだろうな。どうだ、名医をつれて暫く片瀬へ行ってみたら……」
 炬燵を離れぬ夫人を見かねてか、唐沢氏はいつもの優しい口調でこんな風に勧めるのだった。その言葉を今の夫人は以前のように素直な心で受け取ることが出来ない。良人とおしもを残しては家をあけられぬ、と警戒する気もするからであった。朝、外出の仕度をさせるのに、おしもをわざわざ奥の居間へ呼ぶのも巫山戯《ふざけ》るためかと疑い、夜分、寝室で頭を揉ませているのさえ不安な思いで、時折りお春を覗かせにやる。そんな自分の思いまわしを不快に思いながらも悪い想像に心が蝕ばまれていくのをどうすることも出来ない。そして、いつに変らぬニコニコ顔のおしもを見ていると、挑みかけられているような気がしてきて身内がかっかっと熱し、ふと、自分もまた小娘の感情に還って剥き出しに挑みかけているのに気付く。そんな時には、いっ時、足の痛みも忘れられ、不思議に健康感がきて、久しぶりに炬燵を離れ、杖にたよって庭を歩いてみたりする。まるで、激しい妬情が病み窶れた夫人
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