ある。この変りようが老夫人の心を妙に落付かせない。ひとつには、この頃特に目立つ唐沢氏の劬《いたわ》り深さということにも、夫人の心は拘泥りをもつのである。元から優しい方ではあるけれど、それが近頃は故意に、その優しさを誇示しているようなところがみえる。
出社前のいっ時を庭へ下りて万年青をいじるのが慣しの唐沢氏は、今朝も、屋根のかかった万年青棚の前にしゃがんで水にしめした筆の穂で丹念に葉の間の埃りをはらっていたが、ふと、縁に立った老夫人の気配に振りかえって、
「どうだね、この入舟の光沢《つや》は」
自慢げに背を斜に反らせて、足元の万年青鉢へ眺めいる恰好になった。
「まあ、傍へ来て儂の手入れぶりを見てごらん」
云ったかと思うと、性急に飛石を渡ってきて、自分から庭下駄を揃えてやり、リュウマチで足の不自由な老夫人の庭へ下りるのを扶けて、手をひいてやりながらそろそろと万年青棚の前へつれて行く。その良人の掌の温みに夫人はまごついて、何度も飛石につまずいては蹣跚《よろ》けた。そして、唐突なその劬り深さから遠い記憶が徐かに甦えってきて、夫人は捜るように、和んだ良人の横顔を見やるのだった。
良人が常にもまして優しく、こまやかな情愛をみせるような時には、蔭に必らず女出入りがある、――それが、これまでの例であった。そんな折り、故意にみせる優しさというのも、心底から夫人への償いに動かされているというよりは、放蕩で穢れた自分を浄めるための、それが罪滅しのようであった。唐沢氏の関心をもつ婦人というのは主に玄人筋で、それも、ひところは柳橋の小若というのへ入れあげて、おさらい時には踊り衣装の一式を自分で見立て、京都へ誂えてやるという執心ぶりだった。それが、還暦の祝いをすませた頃からだんだんにあそびが納まって、骨董の蒐集へと心が傾いていった。何処で掘り出したのか、金泥の剥げた大時代ものの仏像を床の間にすえて、いかにも娯しそうに撫でてみたり、叩いてみたり、仰反って堪能するまで眺めている容子には、これまでの惰性からあそびの仕草がくりかえされている、ただ、老齢が世間を憚かってその対象をとり代えたにすぎない、とも見うけられた。
万年青いじりがすむと唐沢氏は茶の間に寛いで、老夫人の点てた末茶を一服喫んでから、洋服に着換えていつものように九時十分前に玄関へ降りた。女中のおしもに靴の紐を結ばせながら、式台に
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