い速い。寿女は、また、土にめりこんだ瀬戸物の真っ白いかけらへ呆んやりと眼をうつした。溝のきわの、ひと叢《むら》の痩せた草へ眼をうつした。泥に染まり、それでも赤い米粒ほどの花をつけていた。
 溝には、いろいろな物が捨ててあって、真っ黒い泥が澱んでいた。泥のしみた古下駄だの空罐だので堰かれたところに、僅か水が溜っていて、そこに青空が遠々しく映っていた。寿女は呆んやりして、いつまでも、それを眺めていた。
 この尾久の家に来てから寿女はよく粗相をした。小皿をとり落したり、醤油を注ぎそこねて板の間へこぼしたり、使いに出て釣り銭を忘れてきたりした。
 嫂は、自分からは寿女へ用を吩咐《いいつ》けたことがなかった。
「お寿女さんは並のからだと違いますもの」とか、「そんなに働いちゃあ、からだにさわりますよ」とか口癖に言って、寿女のしかけた用事までも、子供たちにさせる。
 寿女は大事にされながらも嫂の扱いから、自分の不具の身をいよいよ引け目に思う。嫂の口調は優しく劬わり深いけれども、その優しさ劬わり深さでいびられているような心地さえする。その優しさで、折角しかけた用事をひったくられる心持ちがする。そのような優しさ劬わり深さをみせられるよりは、寿女は、罵られながら扱《こき》使われたほうがまし[#「まし」に傍点]だと思った。
 この家の子供達は寿女へは寄りつかなかった。寿女の坐った場所には坐ろうともしなかったし、寿女が箸をつけた漬物へは決して箸を出さないという風であった。寿女は、みんなの済むのを待って食べることにしていた。食べ残しの菜を小皿にとり分けて、独りで食べた。
 下の女の子は、それでも寿女に懐いて、食べ倦きた飴玉などを分けてくれたり人形の着物を縫ってくれとせがんだりする時がある。或る日、通りまで使いに出た寿女が、学校がえりの子供たちの中に、この女の子を見付けたので、声をかけながらせいせい言って寄って行くと、真っ赤になってもじもじしていた女の子は不意に鞄をおさえて駈け出した。筆箱のカチャカチャと鳴る音がいつまでも耳に残り、こんなことがあってから寿女は、途上《みち》で女の子を見付けると周章てて道をそらしたりした。
 母親の一周忌が済んで、程なく、この家へ奥住龍子が訪ねて来た。葬いの折りに顔をみせただけで、それっきりになっていたから、夫婦は、この唐突な訪問の意味を先ず目顔で探りあった。

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