、ただひたむきにその道へと駆り立てる。鞭は徒弟の曲を矯めるためとも、また、師匠自らの惰を戒めるためともみられる。師匠は、徒弟を多くとることを好まず、子|養《が》いから手がけて人と為す、という建前であった。師匠の許を巣立って、いまは名をなしている人もあるが、旧くからわたくしの眼に馴染んでいる門弟の顔は、ほんの二三にすぎない。このうち、銀三がいまだに師匠の許に残っているだけで、女弟子の寿女《すめ》さんも疾うに出てしまったし、腕達者できこえていた連之助などは、もう一家をなして展覧会へも両三度通り、この程、刺繍組合の理事とやらに推薦されたときいている。先日、近所の書店で、葛岡連之助著「日本刺繍講話」という書物を見かけたが、若年にかかわらず、連之助の業界に於ける名声は目ざましいものだときいている。併し、師匠によると連之助の技は展覧会を目ざすようになってから堕してしまったと言われる。或る眼に拘泥わり或る眼に阿ねる心がしぜん技の上に現われたとの意をそれとなく洩らされたのであろう。曾て、組合というものに拠った例しなく、また、人の眼を通して作を展覧させることにも全く縁の無い師匠には、以前のこの門弟の今は処世の道に才長けているさまを眺めるのは、怖しくもまた哀しいことに違いなかった。無のうちに針を取り、無のうちに針をおく、ここにあるのは、ただ、針に通う心ばかりである、この針がたった一つの眼を気にしただけで、糸の乱れのくる怖ろしさを師匠は語られたことがあった。
 わたくしが初めて師匠の作にふれたのは、まだ尋常に通っている時のことで、刺繍というものを色彩華麗な装飾物として決めてかかっていた子供のわたくしの眼には、意外に詰らぬものを見る気がされた。それは、綴錦か何かの地に面《めん》を二つ三つ縫取りしたもので、焦茶、茶、淡茶、白というような色どりが如何にも地味すぎて、味気無く見えた。また、面の配置がいかにもぶざまで、これも稚いわたくしの眼には興なく見えた。幾年かすぎて、父はこれを請うて持ちかえり額縁にいれて居間に掲げておくことになった。父の解釈に、この繍は不完全の調和をなしているという。同系統を用いた色糸の単調の美、ぶざまとみえていた面の置きかたの妙も、わたくしには少しずつ解けるようになった。父亡き今、自分の小室にこれを掲げ眺めて、いよいよ、この繍の妙趣に惹かれる。完全の調和として、装飾的色彩華
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