る筈になつてゐる危険と疲労とを、或る程度まで周囲のあらゆる人間が抑留してくれて、己はその恩沢を蒙つて生きてゐたのだ。世間は己の需要を予測して、潤沢に己に属※[#「上部「厭」+下部「食」」、第4水準2−92−73、101−上−16]《しよくえん》させてくれた。世間は己の活動して行くに都合の好い丈の意欲を己に起させてくれた。然るに今や忽然《こつぜん》として或る未知の女が現れて来て、この一切の好意に反抗しようとする。そいつは啻《たゞ》に周囲の援助を妨礙《ばうがい》しようとするばかりでは無い。却つて反対の方向に働かうとする。そいつは公々然として己の敵だと名告《なの》る。そいつは個個の善意の団体を離れて、独立して働く。そいつの意志の要求する所のものは何か。答へて曰く。己の死である。なぜ己の死を欲するか。答へて曰く。己に侮辱せられた報酬である。併しその侮辱は己が故意に加へたのでは無い。第三者の盲目なる器械となつて、期せずして加へたに過ぎない。それに或る未知の女は己の死を欲する。想ふにそいつは必ず目的を達することだらう。事によつたら明日己を殺すかも知れない。己がその女の名も知らず顔も知らぬのだから、
前へ
次へ
全50ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 林太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング