た末に、主人と己とは一つの扉の前に立ち留まつた。鍵のから/\鳴るのが聞えた。続いて鍵で錠を開けた。油の引いてある枢《くるる》が滑かに廻つて、扉が徐《しづ》かに開いた。主人は己の肩を衝いて、己を室内へ推し遣つた。
 己はひとり闇の中に立つてゐた。深い沈黙が身辺を繞つてゐる。己は耳を澄まして聞いた。微かな、規則正しい息遣ひが聞えるやうだ。室内は只なんとなく暖く、そして匂のある闇であつた。
 此夜は奇怪な、名状すべからざる夜であつた。
 己はこの室内で、不思議なことに遭遇して、そのうちにどれだけ時間が立つたか知らない。
 やう/\己は起つて戸口に往つた。そして肩で扉を押し開けようとした。併し扉は開かない。誰か外から力を極めて開けるのを妨げてゐるやうだつた。その隙《ひま》に衣服のさわつく音がして、続いて廊下を歩み去る軽い足音がした。
 己は又扉を押した。戸は開いた。己は二三歩出て、又跡へ引き返さうとした。暁の薄明かりと共に再び室内へ帰らうと思つたのだ。併し己は前の誓言を思ひ出して、急ぎ足にそこを立ち退いた。
 廊下が尽きて梯になる。梯の下の前房には人影が無い。己は柱列のある所に出た。朝の空気に
前へ 次へ
全50ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 林太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング