フは巡査に云つた。その声がなぜだか脅《おびや》かすやうな調子であつた。
 その巡査はどたばたして廊下へ飛び出して、その拍子にサアベルの尻を入口の柱にぶつ附けた。その隙《ひま》にプリスタフは頻にソロドフニコフを宥《なだ》めてゐる。「先生。どうしたのです。なぜそんなに。それは気の毒は気の毒です。併しどうもしやうがありませんからな。」
 年寄つた大男の巡査が素焼の茶碗に水を入れて持つて来た。顔は途方に暮れてゐるやうである。
 プリスタフはそれを受け取つて、「さあ、お上がんなさい。お上がんなさい」と侑《すゝ》めた。
 ソロドフニコフはパンと麹との匂のする生温《なまぬる》い水を飲んだ。その時歯が茶碗に障《さは》つてがちがちと鳴つた。
「やれやれ。御気分が直りましたでせう。さあ、門までお送り申しませう。死んだものは死んだものに致して置きませう」と、プリスタフは愉快らしく云つた。
 ソロドフニコフは器械的に立ち上がつて、巡査の取つてくれる帽を受け取つて、廊下へ歩み出した。廊下はさつきの焼き立てのパンと麹との匂の外に、多勢の人間が置いて行つた生生《いき/\》した香がしてゐる。それから階段の所へ出た。

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