分の前に燃えてゐる明るい、赤い蝋燭の火と、その向うの蒼ざめた、びつくりしたやうな顔とを見た。
 それは家来のパシユカの顔であつた。手に蝋燭を持つて、前に立つてゐるのである。
「旦那様。どなたかお出ですが」と、パシユカが云つた。
 ソロドフニコフは茫然として家来の顔を凝視してゐて、腹の中で、なんだつてこいつは夜なかに起きて来たのだらう、あんな蒼い顔をしてと思つた。ふいと見ると、パシユカの背後《うしろ》に今一つ人の顔がある。見覚えのある、いやに長い顔である。
「なんの御用ですか」と、ソロドフニコフは物分かりの悪いやうな様子で問うた。
「先生。御免下さい」と、背後の顔が云つて、一足前へ出た。好く見れば、サアベルを吊つた、八字髭の下へ向いてゐる、背の高い警部であつた。「甚だ御苦労でございますが、ちよつとした事件が出来《しゆつたい》しましたのです。それにレオニツド・グレゴレヰツチユが市中にゐないものですから。」
 レオニツド・グレゴレヰツチユといふのは、市医であつたといふことを、ソロドフニコフはやうやうの事で思ひ出した。
「志願兵が一名小銃で自殺しましたのです」と、警部は自殺者が無遠慮に夜なかな
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