ら、これからその書類の下の端へ、よぢれた草の茎を組み合せたやうな字で「スタニスラウス・フオン・ヰツク」と署名しようとしてゐるとたんのやうに、ナイフは握られてゐるのである。
周囲の人は、皆この重要な刹那を黙会《もくゑ》して、殆ど息もしないでゐる。併し卓の下の端にゐる小さいオスワルドは、遅馳《おくれば》せにスウプを啜つてゐる。それからアウグステをばさんは、かう云ふ会食のある度に、三日前からと三日後までとを併せて、七日分の腹を拵へて置かうとしてゐるので、どうしたら、なる丈沢山|饒舌《しやべ》つて、同時になる丈沢山食べられるだらうかと云ふ研究に汲々としてゐる。をばさんは山盛に盛り上げた皿の前に、衝立を立てるやうに、談話と云ふものを立てて置いて、胃腸の消化と空想の消化とに競走をさせてゐる。そこで、この込み入つた為事《しごと》は随分骨が折れるので、をばさんは逆上して来て、折々息を入れるのである。
丁度さう云ふ、をばさんの休憩の時であつた。スタニスラウスは目を高い腕附きの椅子からそらして、ちよつとアウグステをばさんの陰気な額の上に休ませて、更に一転して、大いに意味ありげに女主人《をんなあるじ》イ
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