り直した。そしてまだ顔の色の真つ蒼なのに、商人と寺番とを脇へ押し退けて、前の歌の続きを歌つた。此時三人の人がセルギウスにけふのお勤をお廃めになつたら宜しからうと云つて諫《いさ》めた。一人はセラビオンと云ふ寺番で、今一人は寺男である。今一人はソフイア・イワノフナと云ふ貴夫人で、此女はセルギウスの草庵の側へ来て住んでゐて、始終セルギウスの跡を付いて歩くのである。
「どうぞお構《かまひ》下《くだ》さるな。なんでもありませんから。」セルギウスは殆ど目に見えぬ程唇の周囲《まはり》を引き吊らせて微笑みながら、かう云つた。そしてその儘|勤行《ごんぎやう》を続けた。「聖者と云ふものはかうするものだ」と、セルギウスは腹の中で思つた。それと同時に「聖者ですね、神のお使はしめですね」と云ふ声が、セルギウスの耳に聞えた。それはソフイア・イワノフナと、さつき倒れさうになつた時支へてくれた商人とである。セルギウスは体を大切にして貰ひたいと云ふ人の諫《いさめ》も聴かずに、勤行を続けた。
 セルギウスが帰つて来ると、群集が又付いて帰つた。龕に通ずる狭い道を押し合ひへし合ひして帰つた。セルギウスは龕の前でミサを読んでしまつた。多少儀式を省略したが、とう/\終まで読んでしまつた。
 勤行が済むと、セルギウスはそこにゐた人々に祝福を授けて、それから洞窟の外に出た。そして戸口に近い楡の木の下に据ゑてあるベンチに腰を掛けて、休息して、新しい空気を吸はうとした。さうしなくてはもう体が続かないと思つたのである。
 併しセルギウスが戸口に出るや否や、人民は飛び付くやうに近寄つて来て祝福を求める。救を求める。種々の相談を持ち掛ける。その中には霊場から霊場へ、草庵から草庵へとさまよひ歩いて、どの霊場でも、どの山籠の僧の前でも、同じやうに身も解《と》けるばかり、感動する性《たち》の巡礼女が幾らもある。この世間に類の多い、甚だ非宗教的な、冷淡な、ありふれた巡礼者の型は、セルギウスも好く知つてゐる。それから又こんな巡礼者がある。それは軍役を免ぜられた兵卒の老人等である。酒が好で、真面目な世渡が出来なくなつてゐるので、僧院から僧院へと押し歩いて、命を繋いでゐるのである。又只の農家の男女もある。それは種々の身勝手な願をしに来たり、極くありふれた事柄を相談しに来る。例へば自分の娘を何の誰に嫁入させようとか、どこへ店を出さうとか、どこで田地を買はうとか云ふ事を持つて来て、可否を問ふのである。又乳を飲ませながら眠つて子供を窒息させたが、その子供の霊が助かるだらうかと尋ねたり、私生児でも救が得られようかと尋ねたりする。
 総《すべ》てこんな事にはセルギウスは聞き飽きてゐる。面白くもなんともない。こんな人達から新しい事を聴くことは決して出来ない。又こんな人達に宗教心を起させようとしても徒労である。それは皆セルギウスには好く分つてゐる。それでもセルギウスは此大勢の人を見るのが厭ではない。此人達は皆自分を尊信して、自分の祝福を受けたり、自分の意見を聞いたりしようと思つて来るのだと思へば憎くもない。そこでセルギウスは此人達をうるさがりながら歓迎してゐるのである。
 番僧セラビオンは群集を追ひ散らさうとした。そして群集に向つて、セルギウス様は疲労してゐられると断つた。併しセルギウスは「子等をして我許に来さしめよ」と云ふ福音書の詞を思つて、自分の挙動に自分でひどく感動しながら、群集を呼び寄せるやうに言ひ付けた。
 セルギウスは身を起して欄《てすり》の所に出た。その外には群集が押し合つて来てゐる。セルギウスは一同に祝福を授けて、それから一人一人物を問ふのに答へ始めた。その自分の声が弱いのに、自分で感動しながら答へ始めた。併しなんと思つても来てゐるだけの人に皆満足を与へることは出来ない。セルギウスは又目の前が暗くなつて、よろけ出した。やう/\手で欄を掴まへて倒れずにゐた。血が頭に寄つて来て、一度顔が蒼くなつて、すぐ火のやうに赤くなるのを感じた。「どうぞ皆さんあしたまで待つて下さい。わたしにはけふはもう御返事が出来ません。」かう云つて置いて、又一同に祝福を授けて、木の下のベンチの方へ帰らうとした。例の商人がすぐに来て手を引いてベンチへ連れて往つて、腰を卸させた。群集の中からはこんな声がする。「セルギウス様。どうぞわたし共を見放さないで下さい。わたし共はあなたに見放されては、もう生きてゐられません。」
 商人はセルギウスを楡の木の下のベンチに連れて往つて置いて、自分は巡査のやうに群集を追ひ散らすことに努力してゐる。自分の声をセルギウスに聞かすまいとして、小声で云つてゐるが、その癖語気は鋭く、脅《おびやか》すやうである。「さあ、退《の》いた退いた。こゝを退くのだ。祝福をして戴いたぢやないか。その上どうして貰はうと云ふのだ。退くのだ。それが厭なら少し寄附でもするが好い。おい、そこにゐるをばさん。お前も退くのだ。どこへ押して来ようと云ふのだ。さつきも聞いた通り、もうけふはおしまひなのだ。又あした来たら、お前も伺ふ事が出来るかも知れない。運次第だ。もうけふは駄目だよ。」
「いゝえ。わたくしは只セルギウス様を、一目拝めば宜しいのです。」かう云つたのは婆あさんである。
「お顔ならすぐに見せて遣る。何を押すのだ。」
 商人が随分群集につらく当るのが、セルギウスに聞えた。セルギウスは庵室の小使を呼んで、あの人に余りひどく人を叱らないやうに言へと命じた。かう云つたつて、商人は矢張追ひ退けるとは、セルギウスにも分つてゐる。自分ももう一人でゐたい、休みたいと思つてゐる。それでも小使を遣つて商人に注意を与へた。これは群集に感動を起させようとしたのである。
 商人は答へた。「好いよ、好いよ。何もわたしは皆を追ひ退けるのではない。只少し抑へるだけだ。打ち遣つて置くと、あの人達は人一人責め殺す位平気なのだ。皆自分の事ばかり考へてゐて、人を気の毒だなんぞとは思はない。行けないよ。退くのだと云つてゐるぢやないか。あす来るのだよ。」とう/\群集が悉く散つてしまふまで、商人は止めなかつた。
 商人がこんなに骨を折るには種々の理由がある。一つは自分が平生秩序を好んでゐるからである。今一つは大勢の人を追ひまくるのが面白いのである。併し今一つ何よりも大事な理由がある。それは自分が一人残つてセルギウスに頼まうと思ふことがあるのである。
 商人は妻を亡くした独りものである。妻の死んだ跡に病気な娘が一人残つてゐる。その娘は病気があるために、人に※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》に遣ることが出来ぬのである。商人は此娘を連れて千四百ヱルストの道をわざ/\来た。これは娘の病気をセルギウスに直して貰はうと思ふからである。
 商人の娘はもう病気になつてから二年立つてゐる。その間父は娘を諸方に連れて廻つて、病気を直して貰はうとした。最初には地方の大学の外来診察を受けさせた。併しなんの功もなかつた。それからサマラ領の百姓で、療治の上手なものがあると聞いて、連れて往つた。それは少し利目があつたらしかつた。それからモスクワの医者の所へ連れて往つて、金を沢山取られた。これはなんにもならなかつた。丁度その時セルギウスがなんの病気でも直すと云ふ事を聞いて、とう/\娘をこゝへ連れて来たのである。
 商人は群集を悉く追ひ払つた後に、自分がセルギウスの前に出て、突然跪いて、大声でかう云つた。
「セルギウス様。どうぞわたくしの娘の病気をお直しなさつて下さい。わたくしはかうしてあなたの前に跪いてお願します。」かう云つて丁度皿を二枚重ねるやうに手を重ねた。
 商人の詞や挙動は如何にも自然らしくて、何か習慣や規則でもあつて、それに依つてしてゐるやうである。娘の病気を直して貰ふには、これより外にはしやうがないと云ふ風である。その態度が如何にも知れ切つた事を平気でしてゐるやうなので、セルギウスもそれをあたりまへの事、外にしやうのない事と感ぜずにはゐられなかつた。併しセルギウスは商人に先づ身を起させて、その事柄を委《くは》しく話せと命じた。
 商人は話し出した。娘は当年二十二歳の未婚女《みこんぢよ》である。二年前に突然母が亡くなつて、その時娘も病気になつた。病気になつた時は急に大声で叫んだ。そしてそれ切り健康に戻る事が出来ずにゐる。商人はその娘を連れて千四百ヱルストの道をこゝまで来た。娘は宿泊所に置いてある。セルギウス様がお許なされば、すぐ連れて来る。併し昼間は来られない。娘は明るい所を嫌つて、いつも日が入つてから部屋の外に出るのだと云ふのである。
「ひどく弱つてゐられますか」とセルギウスが問うた。
「いえ。大して弱つてはゐません。体は弱るどころではなくて、ひどく太つてゐます。併しお医者の云はれる通りに娘は神経衰弱になつてゐます。若しお許なさるなら、すぐに連れて参りませう。どうぞお手を娘の頭にお載せ下さつて、御祈祷をなさつて、病気の娘をお救下さい。そして親のわたくしが元気を恢復し、一族が又栄えて行く様になさつて下さい。」商人はかう云つて再びセルギウスの前に跪いて皿のやうに重ねた両手の上に頭を低《た》れて、動かずにゐる。
 セルギウスは商人に再び身を起させた。そして自分のしてゐる業《わざ》の困難な事、困難でも自分がこらへてそれをしなくてはならぬ事を考へた。そして溜息を衝いて、暫く黙つてゐた後に、かう云つた。「宜しい。晩にその娘を連れてお出なさい。祈祷をして上げませう。併し今はわたしは疲れてゐますから、いづれ呼びに上げます。」かう云つて草臥《くたび》れ切つた目を閉ぢた。
 商人は足を爪立てゝその場を立ち退いた。足を爪立てたので、靴の音は猶高く聞えた。
 やう/\の事でセルギウスは一人になつた。セルギウスはいつの日だつて祈祷をすると客に逢ふとだけである。併しけふは格別にむづかしい日であつた。早朝に位階の高い人が来て、長い話をした。その次にはセルギウスを信じてゐる、宗教心の深い母親が、大学教授をしてゐて、信仰のまるでない、若い息子を連れて来て、出来る事なら帰依《きえ》させて貰はうとした。此対話はひどく骨が折れた。若い教授は坊主と辯論がしたくない。多分セルギウスを少し足りないやうに思つてゐるらしい。そこでなんでもセルギウスの言ふことを御尤《ごもつとも》だとばかり云つてゐる。その癖この信仰の無い若い男が安心立命をしてゐると云ふことが、セルギウスに分つた。セルギウスは、不愉快には思ひながら、今その教授との対話を思ひ出してゐる。
 セルギウスに仕へてゐる僧が来て云つた。「何か少し召し上りませんか。」
「はあ。何か持つて来て下さい。」
 僧は庵室の方へ往つた。そこは龕のある洞窟から十歩許隔たつてゐる。
 セルギウスが一人暮しをして、身の周囲《まはり》の事を総《すべ》て一人で取りまかなひ、パンと供物とで命を繋いでゐた時代は遠く過ぎ去つてゐる。今ではセルギウスだつて勝手に体を悪くしても好いと云ふ権利はないと云つて、僧院のものがさつぱりした、然も滋養になる精進物を運んで来る。セルギウスはそれを少しづゝしか食べない。併し前に比べて見ると、余程多く食べる。それに前には物をいや/\食べて、始終何か食べるのを罪を犯すやうに感じてゐたのに、今では旨がつて食べる。けふも少しばかりの粥を食べ、茶を一ぱい飲んで、それから白パンを半分食べた。僧は跡片付をして下つた。セルギウスは一人楡の木の下のベンチに居残つた。
 五月の美しい夕である。白樺、白楊《はくやう》、楡、山※[#「木+査」、第3水準1−85−84]子《さんざし》、※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かし》などの木が、やつと芽を吹いたばかりである。楡の木の背後《うしろ》には黒樺の花が満開してゐる。ルスチニア鳥が直《ぢ》き側で一羽啼いてゐる。外の二三羽はずつと下の河岸の灌木の中で、優しく人を誘ふやうな、笛の音《ね》に似た声を出してゐる。遠い岸を野らから帰る百姓が、歌を謡つて通る。日は森のあなたに沈んで、ちらばつた光を野の緑の上に投げてゐる。野の一方は明る
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