を恥かしく思つた。そして娘の人の好げな、へり下つた、悲しげな微笑が長く男の子等の記憶に刻み付けられた。
 余程年が立つてから、セルギウスはその娘に再会した事がある。丁度自分の僧院に入るすぐ前であつた。娘は田地持《でんぢもち》の女房になつてゐた。その夫が娘の財産を濫費して、女房を打擲する。もう子が二人出来た。息子一人に娘一人である。息子は生れて間もなく死んだ。此女の如何にも不幸であつた事をセルギウスは思ひ出した。
 それから僧院に入つた後に、セルギウスは此女の後家になつて来たのを見た。女は昔の儘で、矢張馬鹿で、気の利かない粧《よそほひ》をしてゐた。詰らぬ、気の毒なやうな女である。娘とその婿とを連れて来た。その頃一家はすつかり微禄してゐた。
 その後セルギウスは、その女の一家が或る地方の町でひどく貧乏になつて暮してゐるのを聞いた。
「一体己はあの女の事を、今なぜ思ひ出すのだらう」とセルギウスは自ら問うた。併しどうしてもその女の事より外の事を思つて見ることが出来ない。「あの女は今どこにゐるだらう。どうしてゐるだらう。矢張今でも土に腹這つて泳ぐ真似をした時のやうに馬鹿でゐるだらうか。あゝ。なぜ
前へ 次へ
全114ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 林太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング