」とう/\群集が悉く散つてしまふまで、商人は止めなかつた。
 商人がこんなに骨を折るには種々の理由がある。一つは自分が平生秩序を好んでゐるからである。今一つは大勢の人を追ひまくるのが面白いのである。併し今一つ何よりも大事な理由がある。それは自分が一人残つてセルギウスに頼まうと思ふことがあるのである。
 商人は妻を亡くした独りものである。妻の死んだ跡に病気な娘が一人残つてゐる。その娘は病気があるために、人に※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》に遣ることが出来ぬのである。商人は此娘を連れて千四百ヱルストの道をわざ/\来た。これは娘の病気をセルギウスに直して貰はうと思ふからである。
 商人の娘はもう病気になつてから二年立つてゐる。その間父は娘を諸方に連れて廻つて、病気を直して貰はうとした。最初には地方の大学の外来診察を受けさせた。併しなんの功もなかつた。それからサマラ領の百姓で、療治の上手なものがあると聞いて、連れて往つた。それは少し利目があつたらしかつた。それからモスクワの医者の所へ連れて往つて、金を沢山取られた。これはなんにもならなかつた。丁度その時セルギウスがなんの病気でも
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