だけで好い事になつてゐる。此頃はセルギウスの便宜を計つて客に面会する日が極つてゐる。男の客の為めには待合室が出来た。セルギウスが立つてゐて、客を祝福する座席は欄《てすり》で囲んである。これは兎角女の客が縋り付くので座席から引き卸される虞《おそれ》があるからである。人は自分にかう云つてゐる。客は皆自分に用があつて来るのだ。来る客の望を※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》へるのは、クリストの意志を充《みた》す所以《ゆゑん》であるから、拒んではならない。折角来た客に隠れて逢はないでは残酷である。こんな風に云はれて見れば、一々道理はある。併しその云ふが儘になつてゐて見ると、一切の内生活が外面に転じてしまふことを免れない。自己の内面にあつた生命の水源が涸れてしまふ。自分のしてゐる事が次第に人間の為めにするばかりで、神の為めにするのではなくなる。客に教を説いて聞かせたり、客を祝福して遣つたり、病人の為めに祈祷したり、客に問はれてどんな生活をするが好いと言つて聞かせたり、不思議に病気が直つたとか、又受けた教の功能があつたとか云ふ礼を聞いたりする時、セルギウスはそれを嬉
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