ゝそれを守つて行くやうになつた。何品《なにしな》に依らず万已むを得ない物の外は、人が持つて来ても拒絶した。とう/\一週間に一度貰ふ黒パンの外には何品をも受けぬやうになつた。よしや人が物を持つて来ても、悉《こと/″\》く草庵に尋ねて来る貧乏人に分配して遣つてしまふ。
 セルギウスはいつも庵室内で暮らしてゐる。祈祷をしたり客と話をしたりしてゐるのである。その客の数が次第に殖えて来た。寺院に詣《まゐ》るのは一年に三度だけである。その外《ほか》で庵室から出るのは、木を樵《こ》る時と水を汲む時とに限つてゐる。こんな生活を五年間続けてゐた後に、前段に話したマスコフキナ夫人との出来事があつたのである。此出来事は程なく世間に広く聞えた。夫人が夜庵室に来た事、それから女の身持が変つた事、尼になつた事が聞えたのである。
 此時からセルギウスの評判が次第に高くなつた。尋ねて来る人の数が次第に殖えた。僧侶で草庵の側に来て住むものが出来て来た。側に宿泊所をさへ建てることになつた。世間の習慣で何事をも誇張するために、セルギウスのした事は大した事のやうになつて、その高徳の評判は人の耳目を驚かすやうになつた。客が遠方
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