らりと薔薇の花で飾つた陶器の馬車に乗り移つた。
それから数日間にクサンチスの平生何事にも大概満足してゐる性質が、著明に変化した。妙に機嫌買ひになつたのである。併し公爵はこの様子を見ても、別に意味のある事とは認めない。それは多年の経験で、女の心といふものを知り抜いて、ひどく寛大に見る癖が付いてゐるからである。この寛大の奥には密《ひそか》に女を軽蔑してゐる心持があるといふ事を、誰でも大した骨折り無しに発見する事が出来るのである。
或る晩クサンチスは、ひどく苛々した様子をして、青年音楽家の処へ来た。青年が、なぜ不機嫌なのかと問うて見ると、女の返事はそつけない。女は、自分の秘密は自分丈で持つてゐるから、大きにお世話だと云つたのである。余り失敬だと思つて、青年もとうとう不愛想な詞を出した。喧嘩が避くべからざる結果であつた。丁度夏の晴れた日が続いた跡で、空気の中《うち》に電気が満ちてゐるやうに、近頃二人の感情の天も雷雨を催してゐたのである。いよいよそれが爆発した。例の如く猛烈な罵詈《ばり》やら、鈍い不平やら、欷歔《すゝりなき》やら、悲鳴やらがあつて、涙もたつぷり流された。
「ほんとにあなた紳士らしくない方ね。わたしをそんなに見損ふなんて、あんまり残酷だわ。」
かう云つた時、クサンチスの声は涙に咽《むせ》んでゐて、目はうるみ、胸は波を打ち、体中どこからどこまで抑制せられた感情が行き渡つてゐるのであつた。青年はあやまつて、子供を慰めるやうに慰めて、ふと饒舌《しやべ》つた無礼の詞を忘れてくれと頼んだ。そして二人は抱き合つて和睦した。
さて青年がいつものやうに熱情を見せさうになつて来ると、女が出し抜けに、どうも余り興奮した為めか、ひどく疲れてゐるから、赦《ゆる》して貰ひたいと云つて、青年の切に願ふのを聞かずに、いつもの時刻よりずつと早く飛び出して帰つた。
それから自分の台の上に帰つたのは翌朝であつた。
――――――――――――
此頃からクサンチスは、ひどく機嫌が好くなつた。
故郷の詩人の賞讚する、晴れた日の快活な光を、クサンチスは体中の※[#「月+奏」、第3水準1−90−48]理《きめ》から吸ひ込んだ。此頃ほど顔色が輝き、髪の毛が金色《きんしよく》に光り、体の輪廓が純粋になつてゐた事は、これまで無かつたのである。
「大した女だ」と、公爵が唱へる。
「無類だ」と、
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