アンドレアス・タアマイエルが遺書
ANDREAS THAMEYERS LETZTER BRIEF
アルツウル・シユニツツレル Arthur Schnitzler
森林太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)今日《こんにち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)世間の人|嘲《あざけ》り笑ひ申すべく、
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 小生は如何にしても今日《こんにち》以後生きながらへ居ること難く候。何故と申すに小生生きながらへ居る限りは、世間の人|嘲《あざけ》り笑ひ申すべく、誰一人事実の真相を認めくるる者は有之《これある》まじく候。仮令《たとひ》世間にては何と申し候とも、妻が貞操を守り居たりしことは小生の確信する所に有之、小生は死を以て之を証明する考に候。今日まで種々の書籍に就て、此困難なる、又|疑団《ぎだん》多き事件に就き取調べ候処、著述家の中には斯様《かやう》なる事実の有り得べきことを疑ふ者少からず候へども、知名の学者にして斯《かく》の如き事実の有り得べきことを認め居る者も少からざるやう相見え候。マルブランシユの記録する所に依れば、某氏《なにがし》の妻、聖ピウスの祭の日にピウスの肖像を長き間凝視し居りしに、其女の生みし男子の容貌全く彼肖像に似たりし由に候。生れたる赤子は彼聖者の如く老衰したる面貌を呈し、生れし時、両手を胸の上にて組み合せ、開きたる目は空《くう》を見居り、肩の上に黶子《ほくろ》ありて、聖者の戴ける垂れたる帽子の形になり居りし由に候。若し此記者マルブランシユの著名なる哲学者たり、デカルトの後継者たるをも猶信じ難しと為《な》す者あらば、小生は更にマルチン・ルウテルの伝へし所を紹介致すべく候。ルウテルの食卓演説の中に左の如き物語有之候。ルウテルがヰツテンベルヒに在りし時、頭の形、髑髏《どくろ》に似たる男を見しことありて、其履歴を問ひしに、其男の母は妊娠中死骸を見て甚しく驚きしことありし由に候。其の他ヘリオドオルがリブリイ、エチオピコオルムに記載したる物語の如きは、最も信を置く可きものゝ如く存ぜられ候。エチオピアの王ヒダスペスは后《きさき》ペルシナを娶《めと》りて十年の間子無かりしに、十年目に姫君誕生ありし由に候。然るに其姫君は白人種に異らざりしゆゑに、父王に見せなば其|怒《いか》りに触るべしと思ひ、密に人に托して捨てさせし由に候。さりながら其子を捨つる時、此不思議なる出来事の原因を記したる帯を添へて捨てさせし由に候。帯に記したる所は、后が王の寵愛を受けし場所は王宮の花園にして、其処には希臘《グレシア》の男女《なんによ》の神体を彫《きざ》める美しき大理石の立像|数多《あまた》有りし由に候。后は王の寵愛を受くる時、常に其石像を見守《まも》りし由に候。今一つの事例は、千六百三十七年|仏国《ふつこく》にて証明せられし出来事にして、是等は此類の事件を信ずる者の必ずしも無教育者若しくは迷信家のみにあらざることを証するに余あるやう存ぜられ候。其事実は四年間|良人《をつと》に別れ居りし妻、一|男子《なんし》を生みしが、其女は始終良人と同衾する夢を見居りし由に候。当時の医師産婆等は皆|斯《か》かる事実の有り得べきことを表白し、ハアウルの裁判所にても、生れたる男子《だんし》に嫡出子のあらゆる権利を与へし由に候。ハンベルヒの著述『自然に於ける不思議なる事実』の七十四頁にも似寄の記事有之候。或婦人の生みし子、獅子の頭《かしら》を有し居りしが、其婦人は妊娠して七箇月目に母と良人とに伴はれて獅子使ひの見世物を見物せし由に候。又リムビヨツクの著述『母の物を見ることに依つて生れし子の母の見し物に似る現象に就いて』と云ふ書の十九頁にも、似寄の事件有之候。此書は千八百四十六年バアゼルの出版に候。或婦人の生みたる子の片頬《かたほ》に大いなる赤き痣ありしに、其母の物語る所によれば、其女の住みし家の向ひの家、産の二三週前に焼けし由に候。只今手紙を認め候時、小生はリムビヨツクの著書を目前に開き居り、筆を執る前にも種々読み試み候。此一書の中には尚|数多《あまた》の学術上に証明せられたる似寄の事件記載しあり候。是等を見る時は、小生の妻《さい》が貞操を守りし者なること十分に証明せらるるものと存ぜられ候。嗚呼我が愛する妻よ、御身は小生が先立ちて死することを許さる可く候。何故《なにゆゑ》と云ふに、小生の死するは世間の人の御身を嘲り笑ふを見るに忍びざるが為に候。小生の遺書一度世に公にせらるるに至らば、世の人の御身を笑ふことは止み申すべく候。此遺書を発見する人は、小生が之を認め候時、傍《かたはら》の室にて妻の安眠し居たりしことを承知せられ度候。良心に責めらるる如き人は斯《かく》の如く安眠することはあらじと存じ候。妻の生みし我子は、生れてより十四日目に
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