の本質を考えて、何を混ぜるにしても栄養価を失わぬようにしたい。饂飩の中に蕎麦を混ぜてもよい。そうすると今の蕎麦と同じものになるかもしれないが」と話されたことがある雑誌に書いてありましたが、著者が思うに、佐々木先生としては栄養学者の第一人者でもあり、また蕎麦研究については最も権威者でありますから御説もごもっともと存じますが、しかし著者も栄養研究所に在職中、栄養ということを主として、饂飩や蕎麦に先生の前説のごとくバターとか牛乳、煮干粉など種々なものを粉に混じて打って料理したこともありましたが、旨いとは思いませんでした。時としては旨いと感じるものもありますが、これも一時的のもので、度々食べるとあきが来て、結果蕎麦は蕎麦切として食べた方が旨くなって来るようであります。女学校で料理を教えるように、栄養々々といっていては栄養となるべきものも結果、不栄養となることも多くなりはせぬかとも存じます。一例を申しますと、最も栄養価のあるものでもその人の嗜好に合わぬものはしたがって旨い感じをいたしませんから、まずいまずいと思って食べたものは、さのみ栄養にもならぬものと存じます。
 近頃の学校方面の人は栄養病に
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