す。好き好きだが、私は味噌の方が好きであります。それへ入れる刻み葱もまた肥料の充分に利いた畑でできて、白根が一尺もあるような、俗にいう根深は風味がないのです。大根同様、痩土に成長して五寸位のもので、信州でも若槻のが一番よろしいのであります。
大根をおろす時は「頭をぶんなぐれ」という諺がある位で、腹を立てて、うんうんいっておろす位の硬いものがいいのです。軟らかいものは甘くて蕎麦の味とぴったりとこないのです。この大根、この葱で拵えた汁の辛いというものは眼の玉がとび出るほどで、従って汁をたっぷりつけたくともつけられないのであります。
大根は皮つきのまま、必ず尻っぽの方からおろすとよいのです。これを逆に頭の方からおろすと、ぐっと辛味がなくなってしまう、不思議なことです。
そこで蕎麦でありますが、これがまた問題で、信州では実は蕎麦はもう贅沢品の中に入っています。どこもここも桑畑になって、まるきり蕎麦などを作る処がなくなってしまい、自然本当の蕎麦粉は非常に少ないものになっています。
粉は戸隠山の産、これも「蕎麦の木」がようやく六寸位のものからとります。和田峠付近のもまあよいのです。
更科蕎麦というが、もうあの辺では蕎麦らしい蕎麦は食えなくなっています。長野、松本など勿論駄目です。かろうじて蕎麦らしい蕎麦を食い得るのは、今では僅かに一茶の柏原付近ぐらいのものでありましょう。また日本料理研究会々長の医学博士、竹内先生は次のような話をされています。
浜町花やしきに「吉田」という蕎麦屋があります。そこは昔からなかなか売ったもので、このうちの「茶蕎麦」はまず天下一品でありました。ところがひょっこり「コロッケー蕎麦」という妙なものを売り出し始めた、ああいけないなァと思っているうちに、もう駄目でありました。蕎麦はぐんぐん邪道へ落ちてお話にならなくなってしまいました。下谷池の端の蓮玉庵もなかなか旨いもので、十五、六年前は蕎麦食いたちは東京第一の折紙をつけ、私なども毎日のように通ったものですが、これも今はいけなくなり、蕎麦そのものの味と下地の味とがどうもぴったりと来ないようになったのであります。
神田の「やぶ蕎麦」もいいが、ちと下地の味が重い上に、器物に不満のところがあります。私の一番いいのは、月並だがやはり、麻布永坂の「更科」で、あのうちの「更科蕎麦」には何ともいえない風味があります。初めは「並のもり」といういわゆる駄蕎麦ばかりを食ったものですが、しかしこれを段々やっているうちにあの白い細い更科の方がよくなり、駄蕎麦の方も旨いには旨いが、味が重いし、舌へ残る気持も少しべっとりとする。更科は少しあっさりと過ぎる位に淡々たるところがいいようであります。
牛込神楽坂の「春月」もよろし。「もり」「ざる蕎麦」何でもよいが、あのうちの下地に特徴があります。この方の通人にいわせると、蕎麦は下地をちょっぴりとつけてするすると吸い込むものだというけれど、私はやはり下地を適当につけて口八分目に入れていくのがよいと思っています。
信州から蕎麦粉を取り寄せて打ってもらって食べることもあるけれども、どうも旨くない。蕎麦屋に頼むものでありますから、東京式に打つので、自然饂飩粉などを多く入れるのでこんなことになるのではないかと思って悲観しております。(『食道楽』誌より)
満州蕎麦の味(酒井章平氏の話)
前略 一、二月に入ってから、私共が一番に嗜好する所のものは「手おし蕎麦」でありました。一体満州の蕎麦の産額はなかなか大きく、日本内地にも十万石ほど輸出をしているとのことでありますが、満州人は稀に餃子《ジャウズ》の皮に蕎麦粉を用いている位で、一向に蕎麦を利用している様子が見えませぬ。それで、
「蕎麦を味わうには」どうしても内地式の手打ち蕎麦が第一等であろうが、これを作るにはなかなか技術が要り、労力もかかり、あるいは小麦粉などのつなぎを入れるために蕎麦の風味を失い勝ちとなりますので、蕎麦を常食として簡単に、しかも最も「蕎麦」の風味を生かして摂取することにつきては、渡満前から内々苦心をしていたのでありますが、僅かに機械蕎麦位で我慢をして来たのであります。
それで機械だけでも安くて四、五十円はとられるので、「つなぎ」を余程入れぬと切れ易く、甚だ難しかったのでありました。ところがある時、干先生が支那の場末の恐ろしく汚い飲食屋で「つなぎ」も不要、しかも切れずに風味も充分あるという「蕎麦」を見つけたといわれるので、早速出掛けて箸や茶碗を消毒させて食べてみたところ、とてもおいしいという訳にゆかぬが、とにかく今までの心配を全部ふきとばしてくれるほどの喜びでありました。道具の値段は幾らだと聞きますと、約廿円だとのことで、これならば買わずとも農民の手でできるというので渡辺兄にお願い
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