すべてに再び新な力のあたえられた時――
 愚なものにはよう見えなんだ神の御力をたたえ謝さぬものは御座らぬのじゃ。
 浅間敷くサタン奴に魅入られた欲心に後押しされて他人のものをことわりなしに我家に持ちかえった事をとがめられて、厳な司法官の宣告書にふるえの止まらぬ体をそのままただ一坪の四方は皆叩いても音の出ぬ石のただ一つ小窓の開いた牢獄につながれた時の罪人の、故里に待つ親しい者共の身を思い出いて流す涙はさぞ熱うさぞ多い事でござろう。
 したが只一人闇の中に座して己の四辺を包む闇の中にひびく責悪の声を身にしめてつくづくと己の罪を悟ゆる時声高に呼ぶのは誰の名でござる。
 救うて下されと祈るのは誰の徳をしとうてでござる。
 偉大《おおい》なる神の御名を呼び、
 高い神の御徳をしとうておすがり申すのでござるじゃ。
王  お事は大なる神の御そば近く居ると申いてわしの領分のうちにお事のその強い音を出す翼で走り廻ろうと致すのじゃ。
 わしは只己を信ずる許りじゃ。
 神によって奇蹟は現わるると僧侶達は申してじゃ、
 己を信じて己の力を祈って進んだ時にばかり驚くべき奇蹟は現れるものじゃ、神の御子じゃと申いて居るイエスは深く自分を御信じなされた。
 己を深く信じて行われた事は奇蹟となって現れ水を酒ともおかえなされ又|盲《めしい》たものに再びこの世の光りをおあたえなされる事も出来たのじゃ。
 世の中に己ほど尊い偉大なものはないのじゃ。
 わしはいつでも己と云う尊い名をたたえ、
 己と云うものの力にすがるのじゃ。
 己の声はお事の望を、
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許いてはならぬ!
叶えてはならぬ!
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 と申いたのじゃ。
法  位と云うものは極く形式的な事でござりながら人はそれを尊びまするじゃ。矩を越えぬ形式はすべての事に大切でござる。
 皇帝でさえ有れば素足に只一枚の衣をまとって居っても皇帝には違いのうてもその威を保つために形式的な厳かな冠もいただき目立つ衣もまといますのじゃ。
 それと同じ法王となれば並の僧侶と同じ黒い衣をまとうてもよいのを只形式ばかりの白い衣を着、その威を保つためにはいろいろの権を持たねばなりませぬじゃ。
王  形式は人間のために作られたものでの、人間が形式のために造られたものではござらぬよ! 人間は形式を
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