なのですからね、という意味の責任を負わすようなことを云われた。そのとき感じた重苦しい心持はきわめて生々しいものであった。そして、祖父を親しみなく遠く感じる思いがまさった。この祖父が僅か三つばかりの孫娘を見て、この子はよくなるか、わるくなるか、どっちかだ、と云うようなことを云った言葉を、母がまた私が自分の気に入らない時に限って持ち出し、さすがにおじいさまはちがっていた、などと云い云いするそれも、祖父への距離をつくるばかりの結果であった。
 数年前に亡くなった母の晩年なども、なまじいそういう祖父の思い出が母のなかに一種の崇拝と一緒にのこっていたために、娘としての情愛だけがすらりと流露せず、現実にはおのずとその愛に結びついて行って、そこにある一定の傾向に支配されることがつのったと思われる。それは、時代の動きの他の極に立つものであったから、母としては彼女の資質の大きさ、感情の独自のあるがままの理解よりも却って狭く作られた精神の境涯に自分を留めたことになって、そこからつくられた苦しみを苦しんだという形ともなった。母のために、それはまことに遺憾な仕儀であった。そう思う私の心は、やはり有形無形の枠や
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