三五二名
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 ボルシェビキの増大に対して、臨時政府の首領、社会革命党の首領ケレンスキーは、ボルシェビキのスローガンに対抗し、「一切の権力を仮政府へ」のスローガンを唱えて、ボルシェビキの弾圧に着手した。レーニンは、そのために非合法に移って革命を指揮せねばならなくなった。が、ボルシェビキの不屈の闘争は決して臨時政府のテロルに屈しなかった。十月十六日、ボルシェビキはペトログラードのソヴェトの軍事革命委員会を組織した。十月二十六日、軍事委員会は労働者義勇隊からなる労農赤衛軍を組織した。そして臨時政府の必死の抑圧を蹴って、十月二十五日(即ち陽暦十一月七日)ペトログラード・ソヴェトの大会は召集され、指揮者レーニンはこのソヴェト会議に現われて、全露ソヴェト大会の決議によって、ブルジョアジーの臨時政府の打倒、労働者・農民の政府の樹立を宣言した。
 かくて、一九一七年十一月七日は、人類の歴史上にとって真に栄誉ある時となった。ロシアのプロレタリアートはプロレタリア革命[#「革命」に×傍点]にとって遂に自国のブルジョアジーを転覆せしめたと同時に、世界幾千万の勤労大衆に革命の威力及び階級としてのプロレタリアートの内に潜在する巨大な新社会建設の可能性を自覚させたのである。
 かくの如く、短期間にブルジョア民主主義革命[#「革命」に×傍点]を、プロレタリア革命[#「革命」に×傍点]の勝利にまで転化せしめたロシアのボルシェビキは、国際プロレタリアートの歴史の模範である。「帝国主義の一切の矛盾の結び目」であったロシア帝国主義は、世界において最も革命的なプロレタリアートの指導によって倒された。世界資本主義体制は、ロシアにおいて大きな革命的亀裂を加えられた。戦後の西欧の革命的昂揚のなかで、ロシアを除く国のプロレタリアートは、例えば、ドイツの如く、敵の攻撃に応じて直ちに、非合法に移れるが如き、確固不抜の革命的党を欠如していたために、革命に勝利することは出来なかった。だが、既に幾度か日和見主義分子を振い落し、プロレタリアート英雄主義に武装し、真に「鋼鉄」の党であったボルシェビキ党は、あらゆる困難な条件の中で最後まで革命を貫徹したのである。
 この勝利の日から、十五年が経った。ソヴェト同盟の労働者・農民は、社会主義社会建設の巨大な勝利によって、革命第十五週[#「週」はママ]年を迎えよ
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