命の勝利は不可能であったろう」(レーニン・共産主義における「左翼小児病」)と一九〇五年の暴動を評価している。我々日本のプロレタリアート・農民も来るべき人民革命[#「革命」に×傍点]の勝利のために、一九〇五年の教える教訓、特に前衛党の立ち遅れの克服を今日のものとしなければならない。
一九〇五―七年に至る第一次ロシア革命の後、一九〇七―一〇年に及ぶ、酷烈な反動の時代が来た。レーニンは、この反動の時代の特徴を次の如くとらえている。
「ツァーリズムは勝利した。すべての革命的党や反政府党は打ち敗られた。無気力、頽廃、分裂、離散、裏切り、淫猥文学とが、政治に代って横行した。哲学的理想主義の熱望が起り、反革命的思想傾向としての神秘主義が流行した。けれどもこの大敗北は同時に革命的諸党と革命的階級にとって極めて有益なる教訓であったし、歴史的弁証法の教訓、全ての政治的闘争を如何にして遂行すべきであるかという事についての理解と技術との教訓であった。真実の友は不幸の中にこそ見出されるものだ。(この真理を)敗北した軍隊はよく学ぶ」(レーニン、同書)
この時期はいかによく隊伍をととのえて、来るべき闘争に備えるために退却すべきかを、革命的プロレタリアートが学んだ時期であった。ツァー[#「ツァー」に×傍点]の野蛮な弾圧は、謂《いわ》ゆる「黒百人組」等によって、革命的分子を追及した。
次の死刑判決の数は、この時期の反動がいかに凄惨を極めていたかを如実に物語るものだ。
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年度 ――宣告数
一九〇七年 一、六九二
一九〇八年 一、九五九
一九〇九年 一、四三五
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この反動の時期に、幾多の小ブルジョア分子は、困難多い地味な闘争に堪え得ないで、非合法活動の放棄、清算主義と「合法的舞台の全部的放棄」の「左翼」清算主義に走った。我々は我国の三・一五、四・一六の後に起った、解党派、新労農党結成、或は一揆主義的極左主義的偏向を想起することが出来る。レーニンは、かくの如き日和見主義的動揺に対して真に断乎として、党の革命的目標を動揺さす分子と闘い、非合法党による合法と非合法の弁証的結合を正しく指示した。
一九一〇年以来、新しい革命的昂揚の波がたかまってきた。ストリピンの農業改革、重工業の発達、ストライキの激増がみられた
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