いた。私共が引越して来た以前から住んでいた人で、隠居住居らしく、前栽にダリアや豌豆などを作っている。夕方まだ日があるのにポツと一つ電燈が部屋の中に点いているのなど、私の家の茶の間から樫の木の幹をすかしてよく眺められた。一人で、さっぱりした座敷の真中に小机を持ち出し書類を調べているひっそりした姿も見た。女気がない。
時々、若い女の人が前栽に見えたり、
「たくさん買っていらっしたのね、おじいさん、五十銭!」
などという声が聞えた。土曜から日曜にかけては、男の児が遊びに来た。尺八を吹く男の人も来たし、犬も来る。賑やかなのは一時で、然しじきもとの独り住みの静けさに戻る。ダリアの盛りの頃、私共はその若い女の人から一束の美しい花を貰った。夜にでもなれば、互に互の灯かげを眺めて暮しながら、そうはかばかしくは口もきかない、そういう交際のうちに、三月ばかり前、突然おじいさんは引越しをしてしまった。
そこがおじいさんの隠居所で、永く住む人と思っていたのが或る朝荷物を運び出し、やがて人夫が来て物干の杙を倒し始めた。人夫が働くのがひどく淋しかった。生活がそこにないという前の棲み主の心持が露骨に働いているよ
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