、どうしてこういやらしい見えすいたことをするのだろうと思った。徳川時代、水戸黄門が一粒の飯のこぼれさえ勿体ない、お百姓の苦労をしのべとやかましくひろわせた。これは有名な話だが、黄門はじめ徳川の農民に対する政策は「生かすな。殺すな」で一貫していた。これは支配の鉄則とされていた。心のしっかりした農村の人々は今日のこの一銭切手を何と見るだろう。私はそう思って丁寧に、四銭の封緘にはり添えて獄中に送った。四銭の切手は議事堂、次の二銭は乃木大将、三番目の一銭はその農民たち。日本の或る姿がここに縮図されていた。
ところが、程なく、私たちはまた新しい図案の一銭にめぐり合うこととなった。その一銭に登場したのは若い勤労婦人の三分身像であった。白い布で頭をくるみ、作業服に白いカラーを見せ、優しくしっかりした横顔を見せている遠景には、何か工具らしいものが覗いている。女子の能力は男子の七十パーセント以上である、近代重工業にもふさわしい、と云われて、女子の技術補導所があちこちにつくられ、女子整備員のオバーオール姿が婦人雑誌に出された時代である。
これも一銭切手であることを、わたしは忘れられなく感じた。男子が戦争の犠牲としてひき出された後、日本の人口は女子の増大をもたらした。生活の支え手は女となった。戦争の道具のつくり手として女が狩り出された。どちらの意味からも女は生きるために働かなければならなくなった。そのとき、日本の忍耐づよい農民とともに辛棒づよい日本の勤労女性は、一銭切手の絵の中に白い布をかぶったその働き姿をあらわしたのであった。
くりかえしくりかえし眺めて、私はそれも獄中への封緘に貼った。ここにまた一つの日本の縮図があった。
さて、今日、私どもは、もう十銭でも二十銭でも手紙は出せない。三十銭入用である。このことは、物価がどんなものかということを十分物語っている。二人の男女の農民のついた一銭切手、若い働く婦人の横顔のあった一銭切手。二つながら、どこでどうつかわれているのだろう。ともかく私たちの目の前からそれらは消えた。女は家庭へ帰れ。そう云われる時が来て、働いていたあのおびただしい女は、みんな切手からぬけ出して、生計上の必要というものも荷物にまとめて家庭へ帰ったというのだろうか。全国で七百五十万人を失業させようというその第一の白羽は、三百五十万の女子、青年従業員に立てられている。さらに行政整理では二百万人の失業が出るだろう。軍需補償のうち切りでは百万人が職をはなれるだろう。新聞はそう報じている。一方に、労働調整法が出来かかったりしているが、金融資本を守るためからの失業は誰にとっても脅かしの影となっていて、勤労大衆はまったく主権在民を実現して合理的に生産関係を独占から解放しなければ、生きてゆけないところまで来ているのである。そのきょう、私たちが、手紙に貼る切手の模様は何だろう。宮島の海の中の鳥居がかかれている。妙義山がある。観光日本のポスターがちぢめられて出て来ている。その上、七銭と二銭の切手とは昔のままの東郷・乃木で、国際裁判をからかっているように見える。私たちには私たちの気に入った図案の切手がほしい。そう思うのは、きょうの現実の中で決して私一人ではないと思う。
[#地付き]〔一九四六年十・十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「労働者」
1946(昭和21)年10・11月合併号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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