郵便切手
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#地付き]〔一九四六年十・十一月〕
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 これまで、郵便切手というものは、私たちのつましい生活と深いつながりのある親しみぶかいものであった。三銭の切手一枚で封書が出せた頃、あのうす桃色の小さい四角い切手は、都会に暮しているものに故郷のたよりを、田舎に住んでいるものに、都会の生活の物語をもたらす仲だちであった。私の子供の時分には、台帳に一枚ずつ切手を貼ってゆく郵便貯金のやりかたがあった。一日に一銭でも、二銭でも、切手を買って貼りつけていって、台紙が一杯につまると、郵便局へもってゆく。そんなやりかたであったように思う。その頃は、十銭の郵便切手を買うことは一年のうちにめったになかった。十銭の切手は外国郵便につかわれたのだから。どんなうちでも毎日外国へ出す手紙はなかったから。
 三銭が四銭になり七銭になり十銭になった。切手のねだんは、いつも物価の値上りの一歩ずつあとを追ってたかくなった。封書へはる一枚の切手の値があがることは、既に生計費がその幾層倍かの率で高価になっていることを示したし、同時にそれは、日本の権力者たちが、ますます内実の苦しい、勝味のない侵略戦争を押しひろげて行ったことを示したのであった。
 三銭で手紙が出せた時代はわりあい長かった。四銭になってから七銭になり十銭まであがったのは最近数年の短い間のことである。獄中に家族の誰かをもっていた人たち、そして、家族の大切な誰かを出征させていた人たち、その人たちにとっては、郵便切手が実に特別な意味をもっていた。出征している人々と家族とのあいだの幾千里をつなぐ愛情のよすがの便りは郵便であったし、獄中と外との生活は、切手をはられた郵便で、やっと交通を保ちつづけた。
 獄中で封緘が買いにくくなってから、私は友達にたのんだりして、封緘を買い集めてそれを差入れした。買った当時は、その封緘に印刷されていた四銭ですんだものが七銭になって、別に切手を貼り添えなければならなくなった。二銭のハガキに一銭足さなければ役に立たなくなった。そして、一銭の郵便切手というものが、珍しく毎日に必要なものとなって来たのである。
 今からちょうど三年ばかり前のことであった。郵便局の窓口で十枚ばかり一銭切手を買った。ハイと若い女事務員に出された切手を見て、わたしは、あら、と思った。その一銭切手は、わたしの視線をひきつけた。これまで日本の切手の図案と云えばあきもせず乃木大将・東郷大将一点ばりで、すこし変化したと思えば、その頃の四銭には格別美しさもない議事堂の絵がついていた。ところが、その一銭切手の模様は、農夫の働いている姿であった。菅笠をかぶり尻きりの働き着を着た男が鎌をもって田圃の中でかがんで稲を苅りいれている。わきに、同じように菅笠をかぶり股引ばきの女が、苅られた稲を束につかねている。茶色の地に白で、比較的こまかな男女二人の農夫の図案がついているのであった。
 米というものが、日本では大体みんな食べているもの、という心やすい食物から、だんだん不足な食糧、増産のいる主食、配給不足の命の綱、闇米とおそろしいものに変りつつあった時期である。その時期に、日本ではじめて農民の勤労姿が、郵便切手の上にうつされた。大日本帝国郵便と印刷され、天皇の紋章が真中についていたその下に、男と女で働く農民の図案がある。一言にいいあらわしきれない思いがした。
 一銭という銭の単位は、数千万の金額の土台である。何百億という狂気めいた予算が丸のみされて、戦争は進められたのだが、その数億にしろ、現実には一銭なしにはじまらないのである。字面を万単位にしたいかめしい政府の計算にしろ一円は百銭である、という子供が先ず覚えはじめる勘定の基礎に与えられているのである。そのかくれていても消すことの出来ない経済の土台の一銭の切手に、男女二人の農民の群像が現れたことは、何と意味ふかいことだろう。この絵は億の根拠が一銭であるとおり、日本の社会生活の土台にあるのは農民である、という事実を語っている。一銭のとおり目に立たず、何だ一銭、と扱われ、しかも、それがなければ万も億も成り立たない非常にどっさりの一銭のような日本の農民。しかもこの小さい四角い切手の面積に、わざわざ男女二人の働く農民を描き出したのは何故だろう。戦争は、農村から働く人手を奪った。女も働かなければならない。日本の勝利のため、天皇のために女も前よりもっと働け、そう強調されていた時だった。それ故図案には、農民に食糧増産させるために、切手の絵にかくからは女も入れて描いたのは当然のことであった。この切手を手にとって、沁々と眺めながら、わたしは、昔から今日まで「お上のもの」というものは
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