のつくる列の真意をさとらせていたのだと思う。列は、儀礼と礼節とのためにもつくられるけれど、列が生じるのは、一に対する十の必要が動機である。そこに列の生きて脈搏つ真の動脈がひそめられている。その脈搏は生きものだから、事情によっては搏ちかたも変って来る。列というものは元来が案外動的な本質をふくんでいるのである。
 それやこれやから、国民生活の中に列が多種になり、長くなり、どっさりになるにつれて、謂わば列そのものが国民の身をもって示している課題の種類の多さと複雑さとさし迫った解決の必要を語るものであることは興味ふかい点だと思われる。市民の生活における列の問題は、ともかく誰でも列をつくるようになって一応混雑がふせげるようになったからいいのだとは云えなくて、さてこの頃は誰でも自然列をつくるようになったのだからな、と却ってそれから先に本当のとかれるべき問題がひかえていることを強調されなければならないところに意味がある。
 旧のお盆にかけて、上野駅の大雑踏はあらゆる都下の新聞に写真を入れて報じられた。列は改札口にぎっしりつまって構内から溢れ、蜿蜒《えんえん》と道路を流れて山下の永藤《ながふじ》パンの
前へ 次へ
全12ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング