別そちらの群集に目を向けるでもなく、若い女事務員が小さい組になって散歩している。水色の交織の事務服が大きすぎるので深い肩揚げのついたのを着た娘さんたちも歩いている。
そこから、次の用件で芝の方へ行ったら、増上寺前のプールの外の日除けの下に少年少女の密集があった。超満員のプールがあいて自分たちの番の来るのを待っている子供たちである。
市民の生活に列をつくるならわしが出来たことは、何といっても日本の新しい秩序の表示であると思う。
大体、近代社会の生活では、列というもののもっている心理も極めて複雑であり意味も深長だと思う。先ず、列は何かの程度でそれがふだん[#「ふだん」に傍点]の状態ではないという性格をもっている。行進したり堵列したり、様々の列は、儀式の場合にもつくるものである。様式化した人間群の動かしかたとして、儀式の性質にふさわしい様式と装飾をもって列をつくる。その場合、列をつくっている一人一人の心持は、その儀式にかなった様式に順応している面で統一されているわけであろう。ふだん[#「ふだん」に傍点]のままのその一人一人の心理の全立体面まるのままではなくなっている。
起きるときから寝るときまで列で暮す兵隊は、一つの目的のために統合された人間の典型であるし、そこでは市民生活としてはふだんのものでないものがふだんの姿となっているということが、全く特質となっている。
もとから市の無料宿泊所や本願寺のお粥の接待に列の出来ていたことは周知の事実でもある。砂糖が切符になる前に砂糖やの前に出来ていた列、この頃は食事時間に丸の内辺の食堂のぐるりにも出来る列。列は整頓の形でありながら、常にその奥に何か足りないもののあることを語っているのはまことに意味ふかいことではないだろうか。だから、いろんなもののための列が国民生活の日常に多くなって来ることはそれにつれて、それぞれの国の歴史の緊張の度合いが知られるということにもなる。
今までもよく外国がえりの人たちが、あっちでは市民の訓練がよくゆき渡っていて、何かあると誰云うとなく皆整然と列をつくって事を運ぶ、と褒めた。しかし市民が自分たちですぐ列をつくってゆく心理や習慣を持っているということは彼等にとって決してなま容易《やさし》い生活経験から身につけられたものではないにちがいない。第一次の大戦というものは、彼等に深刻な社会的な逼迫から人間
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