を眺めやっている姿に、ロマンティックな美を見出している。静的ではあるが、人生を何か内部的な緊張をもった光でつらぬこうとする姿が描かれている。「安井夫人」を読む者は鴎外が女に求めていた光りがどういう種類のものであったかをいささか知り得るのである。
 荷風は、ヨーロッパにあってはその婦人観も彼地の常識に従って郷に従い、日本にあってはその婦人観も郷に従い、長いものにまかれる伝統に屈している如くなのである。
 夏目漱石が、その恋愛や行動において積極的自発的、不羈《ふき》な女を描くとき、それは「夢十夜」などのようなヨーロッパを背景とするロマンティックな空想の世界であったというのは、何と興味ある事実であろう。また、「虞美人草」「三四郎」などの中に、いわゆる才気煥発で、美しくもあり、当時にあって外国語の小説などを読む女を、それとは反対に自然に咲いている草花のような従来の娘と対置して描いているのは、注目をひくところである。今日の私たちの心持から見ると、漱石が描いた藤尾にしろ、迷羊《ストレイ・シイプ》の女にしろ、どちらかというと厭味が甚しく感じられる。あの時代の現実は、青鞜社の時代で新しい歴史の頁をひら
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